宇多喜代子著『暦と暮らす』(NHK出版)、副題に「語り継ぎたい季語と智慧」とある。帯の惹句は、
立春から大寒まで、俳句で語り継ぐ、昭和日本の「季語暮らし」の逸話集。俳優小林聡美さんご推薦!「宇多さんから『昭和』のバトンを繋ごう!」とある。
昨日、愚生の目の前を燕が舞って行ったので、本書の中から「夏燕(なつつばめ)来ることの」を紹介しておこう。
夕暮は人に近づく夏つばめ 大井雅人(おおいがじん)
田植え開始のころ、田の水口に幤(ぬさ)を立て、田上に植える花や酒や煎(い)った籾(もみ)などを置き、田の無事を願いました。機械による農作業が普及するまでの昭和三十年代まででしょうか、このような景が見られたのは。
祖父の没後、田宰領(たさいりょう)をやっておりました祖母は、その籾を田の神さんにまで運ぶ役目を担うのが燕だと信じていたようです。田神と山神は同じ神で、春に季節の神として遠くから来臨するという類の民俗信仰はひろく日本に分布していたようで、わが家の軒下に来る燕に対して好意的であった祖母の謂(いい)もこれに準じたものだったようでした。(中略)今も私には、いかなる民俗学の資料や論考よりも、春から夏の間の「燕」を見る祖母の顏つきのほうに納得できるものがあるのです。
宇多喜代子は、愚生と同じ山口県の生まれ、同じような光景をみて育ったのだ。田んぼの草取りや牛や鶏への餌やり、野菜作り、冬は畑仕事で、それらを手伝ったこともある。その所為というわけでもないだろうが、その頃から、愚生は農業だけはやりたくない仕事の一つだった。だから、今でも(もうその体力は無いが・・)、たとえ家庭菜園であってもやりたくない。つまり、愚生には、農作業をするほどの根気はもとより無いのだ。
燕は、春の社日(しゃにち・地の神に豊作を願う祭り)に来て、秋の社日(地の神に収穫の感謝をささげる祭り)に帰ってゆくといわれていました。
という。ともあれ、本書中よりの燕の句を以下に挙げておこう。
来ることの嬉(うれ)しき燕きたりけり 石田郷子
みちのくは草屋ばかりやつばくらめ 山口青邨
つばめつばめ泥が好きなる燕かな 細見綾子
燕来る軒の深さに棲みなれし 杉田久女
山塊(さんかい)を雲の間にして夏つばめ 飯田蛇笏
燕去るや山々そびえ川たぎち 相馬遷子
宇多喜代子(うだ・きよこ) 昭和10年、山口県生まれ。
★閑話休題・・・小川軽舟「男役トップの出待ち燕舞ふ」(「ふらんす堂通信」164号より)・・・
燕つながりで「ふらんす堂通信」164号、今号では「競泳七句」の連載で、「後藤比奈夫先生はご体調を崩され、しばらくの間連載をお休みさせていただきます。4月から一年間にわたって西村麒麟さんにご参加いただきます」とあった。以下その連載一人一句を、
あちこちに新茶旗立ち新茶買ふ 深見けん二
ぁまぁしあわせ新茶のための湯を冷まし 池田澄子
さう言へば新茶呉るるは君のみか 西村麒麟
その他、巻頭のエッセイ、高橋睦郎「こわい俳句」は、眞鍋呉夫の「雪女あはれみほとは火のごとし」。
撮影・鈴木純一「死から生/蟻から蟻/生から死」↑
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