2020年9月10日木曜日

翁「しら菊の目に立てゝ見る塵もなし」(「禾」第7号より)・・




「禾」第7号(編集室 折井紀衣)は、今号から、蕪村研究者の藤田真一が「禾のふみ」と題して「菊の挨拶」を執筆している。「あとがき」には、

 「菊」の字に訓読みはなく、漢字音は和歌によまない。重陽の宴の宮廷行事などがあって歌われるようになったのか。ことばからも、菊が日本固有種でないことは明白で、肉、梅、馬などと同様。
 何気ない疑問を持って草する、そんな小文を心がけたい。

 とあって、今後の連載にも興味深々だ。ブログタイトルにした「しら菊の目に立てゝ見る塵もなし」芭蕉(追善之日記)の句には、

 塵ひとつない清楚なおもむきがよまれている。もちろん、園女の人柄や挙措を賛美した挨拶のく句である。七年前、初対面のときの印象は、いっときのものではなかったのだ。この発句にはじまり、九吟歌仙を成就した。ところが、話はこれで終演とはならなかった。
 芭蕉はまもなく病床を離れることができなくなるも、俳諧への執念は尽きることがなかった。十月八日、そんななかでよまれたのがこの一句である。

  旅に病んで夢は枯野をかけ廻る    (以下略)

と記している。ともあれ、同誌同号より、以下に一人一句を挙げておこう。

   八月や石垣りんの「崖」を読み       中嶋鬼谷
   満月の発条(ばね)に身体を預けたる    川口真理
   むかご落つまた落つ山は晴れてゐる     折井紀衣



★閑話休題・・・染々亭呆人「颯々と弓引く人の凛々と」・・・・


 愚生の先輩スジに蕪村大好き、蕪村を語らせたら、何時間でも話し、聞く人はかならず辟易とする人がおられる。当然ながら、そのお方から、何度、藤田真一の名を聞かされたことか。そのお方の恩師らしき人は、平家物語の権威ともいうべき武久堅らしい。先日も便りには、

 昨晩のNHKテレビ「チコちゃんに叱られる」に藤田真一さんが出演。まさか、あの番組で蕪村など取り上げるはずもなかろうとおもっていたら、「にらめっこ」の解説に出てきたのです。平家物語に出てくる平清盛の故事から説き起こしての解説。蕪村には関係ない話でした。

 としたためられてあった。染々亭呆人の読みは「しみじみ亭」らしい。呆人は十字架の人とも思えぬ下ネタの人ですが、これが、若き日からの吉永小百合ファン。よって、写真と句をも贈ってくれたのだが、その添え句にも「さ」「ゆ」「り」が詠み込まれているという按配である。ここまでくると、句の出来などは二の次、三の次である。
 上掲写真の句には、従って、頭に「さゆり」が詠み込まれているのであった。
  
  颯々と
  弓引く人の
  凛々と      呆人

 また、句の用例は、「家隆は詞ききて颯々としたる風骨を詠まれたり」(正徹物語)。現今の風俗に例えれば、吉永小百合の写真(上掲)のような姿態を言う。とも記されていた。



     撮影・鈴木純一「世の中はへくそびんぼうこがねむし」↑

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