2020年9月21日月曜日

田中裕明「小鳥來るここに静かな場所がある」(「静かな場所」第25号より)・・




  「静かな場所」第25号(発行人 対中いずみ・編集 和田悠)、連載の記事は、柳元佑太「田中裕明と水無瀬」(「田中裕明論(3)」)と田中惣一郎「扇風機のとまるとき」(「わたしにとっての田中裕明(2)」)。まずは、柳元佑太の締めは「後鳥羽院と裕明の作風の類似」で、


 (前略)つまり、裕明らが登場した一九八〇年代というのは、俳句における技術が頂点に

達していたという意味で「新古今的」だったのではないか。(中略)

 そういう時代の中で後鳥羽院と裕明がことさら優れていたのは、彼らがその自身の詩人としての「声」を犠牲にしなかったからなのではないか。後鳥羽院に指摘される「帝王ぶり」という、いわば彼の上皇という特権的な身体性に根差した「声」こそが、藤原定家ら他の宮廷歌人を寄せ付けぬ特質だったし、裕明の他の昭和三〇年代の俳人と比べたときの特質も、時空を感じさせるゆったりとした伸びやかなその「声」だったように思う。技巧の時代における「声」の詩人としての類似を、彼らに見いだしたいのだ。だから、裕明が後期になると句づくりが平明になる現象は、帝王の小唄ぶりよろしく、「声」が現れ始めるのだと考えてみると、何やら合点がいくし、さらに彼を愛することが出来る気がする。


 という。一方、田中惣一郎の結びは、


 〈たはぶれに美僧をつれて雪解野は〉がある種の幻想的風景を描く一方で実体感をもって読まれること、俳句における幽玄とはこれかと見る間に邯鄲の夢よろしくその世界は儚く見失われてしまう。俗に傾きがちな俳句において、まったき聖のこの詩情を何ゆえ愛さずにいられようか。


 と両者とも、その愛し方について語っているのは、偶然でもなさそうである。ともあれ、本誌本号よりの一人一句を挙げておこう。

  

   霾るや華表に龍と鳳凰と       日原 傳

   南風吹くあふられてくる雨の粒    和田 悠

   空蟬のそこだけ雨のかからなく   対中いずみ

   ほうたるや背文字入らぬ薄き本    満田春日

   菜の花畑に最後までのこる人     森賀まり 

 


★余白つれづれ②・・・安井浩司「草露や双手に掬えば瑠璃王女」(『烏律律』)・・・

 イタリア。ヨーロッパ中世。『神曲』を著わした詩人ダンテ。この『神曲』「地獄変」を現代日本に俳句で著わしたのが句集『烏律律』です。集中の文学的地獄編が冒頭の句、

  草露や双手に掬えば瑠璃王女         浩司

そして巻末の句、

  行く雁にわが涙して人間(じんかん)や    浩司

この二句の救済に支えられた美しいポエトリーの句集です。

                           ー 救仁郷由美子 -



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