2022年1月6日木曜日

各務麗至「天青といふ静謐や春隣」(「戛戛」136号より)・・


 「戛戛」136号(詭激時代社)、エッセイに「ひたすらー「遠山陽子 俳句集成」を読んで」と小説「父子三界」。その「あとがき」に、


  新年あけましておめでとうございます。「戛戛」第百三十六号をお届けします。

 昨年、かかりつけ医の先生は、「ニトロは早め早めに副用しなさい」と言ったけれど、一週間で十五枚ほど書く度に寝込んだのには参った。

 基礎疾患保有者の体調不良もこんなものかと思っていたけれど・・・、いやまてよ、と自覚してから三度目の激痛鈍痛に見舞われて、やっと書くことがステント治療して左心室1/3壊死した心臓に大きな負担を掛けているのではないかと思った。

 それにしても、私は幸せ者だとつくづく思う。今号の遠山陽子さんや、先には三橋敏雄先生や池田澄子さんのことを書かせてもらえたりで、

 遠山さんの「俳句集成」あとがきに、ー私と関わってくださった多数の俳友たち、と、あるように、私も三橋先生をはじめこの後半に続けさせていただく、「大井恒行の日日彼是」の再々のブログや「佐藤洋二郎ツイッター」に救われたり、近隣の二,三の畏敬の方々のお蔭で今があると思っている。

 そして、古くは「文學界」同人誌評の先生方に、現在は「季刊文科」の編集委員の先生方に救われて救われたくていつまでも届けたくて、

 先の現況から言えば、何のことはないそこまで思わなかった命が賭かっていた。

 家内に、「いい加減にして」と叱られながらも書き始めると止まらなくて、気づけば次の作品こそ最上に、と、どこまでも終わるつもりどころか終わりなど見えなくてのマラソンで・・・。突然の最後でなく、「ああもう最後だなあ」と思える最後まで、この息がこの心臓が持つか続くかどうかどうなるかわからなくなってしまった。


 とある。また、「戛戛」と一緒に同封されていたのは、日付は確認できなかったが、読売新聞の書評で梅内美華子(歌人)の「『眞神』考 三橋敏雄句集を読む/北川美美著」の切り抜き、記事の結びに「北川美美は今年一月に五十七歳で逝去。本書を契機とした新たな議論への応答が叶わなくなったことが惜しまれる」とあった。ともあれ、各文中より、いくつかの作品を以下にアトランダムになるが挙げておきたい。各務麗至のご自愛を祈る。

  

   荒梅雨や地は球にして上下ある     各務麗至

   野分来し夕べ未完の画布燃ゆる     遠山陽子

   もう誰の墓でもよくて散るさくら     〃 

   濃き闇が祭のあとからあとから来     〃

   芭蕉敏雄陽子申年永遠の春        〃

   春濤の輪舞曲かの世の友の数       〃



 撮影・芽夢野うのき「はつゆきの降る音らくくしろくほそく」↑

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