「カバトまんだら通信」通巻第44号(カバトまんだら企画)は、毎号、まるごと赤尾兜子である。巻末にささやかに木割太雄の句が添えられている。巻頭のエッセイ・木割大雄「恥ずかしながら」には、
先師・赤尾兜子の作品と、その人となりを語ろうとしてこの手作りの〈通信〉を始めたのが平成八年。そのときすでに没後十五年になっていた。そうしてぽつりぽつり書き続けて昨年、43号を出した。
そこで大失態をやってしまった。先師の作品を脱字・誤記したのだ。
そのことを、かつての「渦」の仲間に指摘されたとき、本当に息を呑んだ。血が引いた。そしてこの〈通信〉をもう止めようと思った。恥ずかしくて彼に謝ることも出来なかった。
機關車の底まで月明らか 馬盥 兜子 (中略)
「そうか。君は赤尾の弟子か。赤尾には困ったもんだョ」
兜子没後、何人かの先輩にそう言われた。赤尾兜子が酒席で急に怒鳴り出すのは珍しいことではなかったのだ。
酒席で荒れた、という。でも、酔って我を忘れたのではないと思う。いつも、どこか醒めていたのではないか。酔って怒るのではなく、醒めた頭で怒ったのだと思う。酒席でも真剣だったのではないか。
そんな先師の俳句を誤記するような男が、弟子とは名乗れぬのではないか。
ゆめ二つ全く違ふ蕗のたう 兜子
その人の没後、とうとう四十年。三月十七日のその忌日を私たちは〈鬱王忌〉と言う。私は恥を忍んで書きつづけねばなるまい。鬱王のことを。
俳句思へば泪わき出づ朝の李花 兜子
令和三年十二月十七日
とあった。他の本号の記事は「ー兜子への旅ー神戸市局時代の兜子」である。ともあれ、文中の兜子の作品と、大雄の作品のいくつかを以下に挙げておきたい。
神と医師いづれをえらぶ冬の窓 兜子
落ちてなお恍惚を知る落椿
会うほどしずかに一匹の魚いる秋
硝子器の白魚 水は過ぎゆけり
痩せてしまえば鏡がうごく冬の壁
わが句座の馳走ぞ院の馬刀葉椎 大雄
蝶々に多分耳など無いだろう
俗人と言われて嬉し木下闇
名も知らぬ人にも会釈夜の秋
通されて「喫茶去」とある夏座敷
芽夢野うのき「聴く耳のだんだん遠く冬木の芽」↑
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