2022年12月29日木曜日

渡邉樹音「色褪せて聖樹は眠る月の昼」(第44回・メール×郵便切手「ことごと句会」)・・


  第44回・(メール×郵便切手)「ことごと句会」(12月17日付け)、兼題は「戻」+雑詠3句。以下に一人一句と、寸評を紹介しておこう。


  我が母の戦後の日々や冬菜なり      武藤 幹

  停車位置を百粍戻す冬の電車       金田一剛

  羊水に戻ってしまう日向ぼこ       江良純雄

  冬夕焼巻き戻しても違う色        渡邉樹音

  枇杷の花こんがらがって寂しくて    らふ亜沙弥

  警笛掠れ冬の工夫等立ち上がる      渡辺信子

  寒茜富士の裾野に隠れけり        照井三余

  大雪の二日三晩の街あかり        杦森松一

  ここよりは行けない冬の戻り橋      大井恒行


★寸評・・・

・「色褪せて聖樹は眠る月の昼」ー頼りない昼の月に観る聖樹を色褪せと詠む俳ならでは(三余)。ウクライナの街々。停電の中のクリスマスツリー。それでも子供たちは明るく喜んでいた。「月の昼」が良い(幹)。褪せた緑、月影の白、そして辺りは無音。冬の水彩画を見るような(信子)。

・「我が母の・・」ー「冬菜」にもう少し、キチンとした名のものが斡旋されていたら、もっと良かったのに。「冬菜」ではどうしても、比喩的に読めてしまうのが惜しい(恒行)。

「停車位置を・・」ー「を」か「の」のどちらかを削るとリズムが整うような・・(信子)

・「羊水に・・」ーたしかに日向ぼこの温みはそうかもしれないが・・(恒行)

「冬夕焼・・」ー中句・下句の「巻き戻しても違う色」が良い。一瞬の、その場限りの美しさ・・(幹)。

「枇杷の花・・」ー亜沙弥さんの「花詠み句」はいつも素敵です。観察眼も鋭くアイロニーもある。「勝手に年度賞」なら一連の亜沙弥さんの花詠み句です(剛)。

「警笛掠れ・・」ー句における光景がよく描かれていて、他の作品がけっこう感懐的、空想的であったのに比して、リアリズムの良さがあった(恒行)。

・「寒茜・・」ー何気ない光景。そこを切り取って見せたところ、富士の大きさが見える(恒行)。

・「大雪の・・」ー下五「街あかり」は雪明かりに違いないとおもうのだが・・、強いて言えば二日、三晩に時間の経過がある(恒行)。

「ここよりは・・」ー戻り橋は京都の伝説の橋のことでしょうか。歴史を感じ、足が止まります(松一)。





★閑話休題・・「Nostlgia 岡田博追悼」(ワイズ出版)・・・


         


挟込まれた挨拶状の中に、


 昨年亡くなりました「株式会社ボアール」「ワイズ出版」創業者・岡田博を偲ぶ『ワイズ出版展”Nostlgia”』にご参加いただきましたこと、心より感謝申し上げます。(中略)

 尚、遅くなりましたが”Nostalgia”展の前後で、皆様からいただきました沢山のお言葉をお纏めした文集が完成いたしました。(中略)

                                令和四年十二月

                   有限会社ワイズ出版・株式会社ボアール一同


 とあった。写真もふんだんにあり、便りを寄せた方々、愚生のは、本ブログからの転載だが、総勢、70余名に及ぶ。年譜もあり、その亡くなる年、2021年3月「日本映画ペンクラブ賞 奨励賞」受賞とあり、また、同年10月11日「新文芸坐にて『追悼・岡田博 銀幕に刻まれた映画への想い開催される』(第一回制作作品『無頼平野』を上映)」とあったのには、すこし救われた気がした。じつは、この映画と、第二作「樹の上の草魚」(石川淳志監督)に、愚生はエキストラで出演させられている。ともあれ、ご冥福を祈る。

 岡田博(おかだ・ひろし)、小倉市(現・北九州市)生まれ。2020年8月27日死去、享年72。


    尽忠の映画の海に逝かしめき    恒行 



           芽夢野うのき「煤逃げの男は蒼き葱畑」↑

2022年12月27日火曜日

三橋敏雄「絶滅のかの狼を連れ歩く」(『秀句を生むテーマ』)・・


 坂口昌弘『秀句を生むテーマ』(文學の森)、その「あとがき」に、


 本書は月刊「俳句界」に五十一回連載した「秀句のテーマ」をまとめたものである。

 人が生きる上で大切なテーマを取り上げた。(中略)

 本書を書く発端は、今まで多くの俳人論、句集論を書いてきてテーマで俳句作品史を見直すことの必要性を痛感したからである。優れた俳人の優れた俳句作品が、一体何を主題に句を読んでいるのかという観点から十数年間評論を書いて来たので、作品のテーマ(モチーフ)といあった、秀句の秀句たるゆえんの根本は何かということに深い関心があった。(中略)

 仏教・キリスト教は、自然の四季と「命」の関係を語らない。荘子は石や瓦礫にも「道」があり「命」があるとし、その影響を受けた中国仏教は草木国土悉皆成仏の思想を作り、大乗仏教の「仏」は神と魂の一種に変貌した。「命」は大切であり、危機の時人は、「命」の健康・延命を願い、「神」や「仏」に「祈り」を捧げる。祈りはその効果がないときでも、人は切に祈らざるを得ない。詩歌俳句は祈りとなる。(中略)

 ものの存在を真剣に考える人は、命の根源を求めて「道」を求める。命の維持のため、宇宙の存在を理解するために人は「科学」の真理を求める。医学・薬学も科学の領域であり、病を無くし「死」を避け不老長寿のために存在する。科学を追究すると、この世の見えない「力」に気づく。宇宙空間の多くは「闇」であり、「光」が生まれた「闇」を意識する。この世の「命」は「光」のおかげで発生して目に見える存在となり、「色」がつく。

 真面目なことばかりでは人生が面白くないから「笑」を求める。俳句・俳諧のルーツに諧謔・滑稽があり、「笑」が元気を与える。人は真理・真実だけでは生きられず、時には「雪女」「他界」を空想し、「夢」を見る。現実の私とは別に「夢」の中の蝶と化し「「俳句」文学が存在する。


とあった。ここでは、「火ー火は禱り」の項から少しだが、紹介しておこう。


  いつせいに柱の燃ゆる都かな    敏雄

 三橋敏雄論といえば多くは戦争句を論じる。「柱の燃ゆる」とは、「神をも戦死者をも含む御霊の幾柱かが一斉に燃え上がる景」であるという言葉は、敏雄を師とした池田澄子のユニークな解釈である。神を柱と呼ぶのは古代中国の道教にルーツがあるが、神や霊が燃えるというのは異色な想像である。


 という。そう言えば、愚生は二十代の頃、「火は火のことをかの火祭の火のほこら」という句を作ったことがある。「渦」の二十代作家特集に、この句を含めて、赤尾兜子が取り上げ、たしか「いま、リフレインを研究している」と評されたことがあったことを思い出した。もう50年以上前のことだ。ともあれ、本書中より、アトランダムになるがいくつかの一題一句を挙げておこう。


  なほしばしこの世をめぐる花行脚     黒田杏子

  水の地球すこしはなれて春の月     正木ゆう子

  鳥の目に雪降るはひとつの奇跡     宇多喜代子

  凍蝶の魂離さざるごとし        稲畑廣太郎

  海流の濃きをしるべに鳥帰る       能村研三

  狼を山の神とし滴れる          加古宗也

  瀧壺に瀧活けてある眺めかな       中原道夫

  美しき被曝もありや桃花水       渡辺誠一郎

  詩神撒く枯れの光に立ち尽くす      仙田洋子

  星涼しもの書くときも病むときも    大木あまり

  法皇の好みし黄なり初蝶来        大石悦子

  億年のどこか繋がるしじみ蝶       花谷 清

  ひまわりの遠心力のなかに居り      奥坂まや

  蛍火の明滅脈を診るごとく        細谷喨々

  髪洗うたび流されていく純情       対馬康子    

  魂は色を持たざり紅椿          星野高士

  はくれんの祈りの天にとどきけり    日下野由季

  鉄線花我が転生に猫もよし        寺井谷子

  雪女あかごを抱いてゐたさうな      姜 琪東

  柱なき原子炉建国記念の日       恩田侑布子

  第三次世界大戦前走りつづける蟻の群れ  大井恒行

  人死ぬやこゑ萬緑に溺れつつ       高橋睦郎 



     撮影・中西ひろ美「数え美も柚子色めでる頃となり」↑

2022年12月26日月曜日

秋尾敏「永遠の夕映えいつか必ず手を組む舞踏」(『自句自解ベスト100 秋尾敏』)・・


 『自句自解ベスト100 秋尾敏』(ふらんす堂)、巻末の「俳句をつくる上でわたしが大切にしている三つのこと」に、


 1 世界観、あるいは状況認識

 詩歌は、ごく個人的な言葉によって、既存の状況認識をつきやぶり、新たな世界観を提示しようとする。

 つまり、世界は暗いと思っている人を明るさに導き、無力だと思っている人に可能性を与え、何でも許されると思っている人に、それは違うと囁きかける。(中略)

 それらが成功するかどうかは問題ではない。そういう言葉を発することが重要なのだ。(中略)

 詩人は、それらの世界観に働きかける。世界は、君が思っているのとはちょっと違った、もう少しまともで美しいものなのだ、と。

2 韻律とリアリズムの相克 (中略)

 俳句の〈音通〉は、五七五の句切れ目を、同じ母音、または子音でつなぐ手法である。

  古池や蛙飛びこむ水の音    芭蕉

 この句の場合、五七五の切れ目の「やか」がa音の母音で共通しており、七五の句切れの「むみ」がm音の子音で共通している。これが〈音通〉である。

 江戸時代には、比較的よく知られた技法だったはずだが、、大正時代以降は廃れた。(中略)〈音通〉は〈口伝〉となったために、〈秘伝〉のように考えられるようになり、神秘性を加えられ、数々の迷信を生んだと思われる。(中略)こうしたこともあって、近代になり、〈迷信〉として忘れられていったのだろう。

 しかし、〈音通〉の本質は〈調べ〉である。作品の韻律をなめらかに整えるための手法なのである。

3 ラングとパロール (中略)

 個人のパロールが、社会的ラングをどれほど変形させられるか。詩歌とは、そうした営みであろう。(中略)例えば季語には〈本意本情〉というものがあって、とりあえずそれは共通認識ということになっている。(中略)

 そうなのである。言葉の意味には、ほぼ客観的に共通認識が成立している部分と、主観的に一部の人どうしが了解し合っている部分があり、さらに、内面に生まれたばかりの新たな意味もある。これは季語にかぎったことではない。

 したがって、季語の〈本意本情〉を固定的なものと見ることはできない。(中略)

 個人の〈内面〉はデータ蓄積の偏倚の場であり、その偏倚が、パロールという個人的な〈突飛な〉言葉を生み出す。

 しかし、実はこのモデルこそが、原始の昔からの言語モデルではなかろうか。そもそも言語を〈内面〉という場に想定していたことが間違いなのであった。思考は常に外部のデータが投影されているのである。

 俳句は、連句ほどではないが、やはり言語が関係性の中で培われていくことを教えてくれる。それぞれの俳人には、俳句についての知識の〈情報〉の偏倚があり、その偏倚が、個人的な(突飛な〉俳句を生み出し、その個人的な(突飛な)表現が周囲に影響を与えていく。こんな面白いことはない。

 言い換えれば俳人たちはみな不完全なのであって、その不完全さの生み出す突飛さが、言葉をゆたかにしていくのである。


 とあった。自句自解の一例のみになるが挙げておきたい。


   ピーマンの輪切りの彼方まで夏野

 輪切りにしたピーマンをつまんで目の前にぶらさげてみた。いささか芝居じみているが、ルネ・マグリット風の世界観で遊んでみたかったのである。ピーマンも夏の季語になるが、作者の意識としては、この句の季語は夏野。高屋窓秋を想いながら詠んだ。あなたの夏野は、今も私の脳裏に広がっている、と。

 「の」「の」「野」というo音の脚韻は意識的。「輪」「彼」「夏」のaの頭韻は偶然のようなものだが、そこにoとaの対照性が生まれている。俳句の調べは重要だ。ほぼ感覚的なものだが、私の場合、意図的に作り出すこともある。    (『納まらぬ』平成十三年)


以下には、本書より、句のみなるが、愚生好みにいくつかの句を挙げておきたい。


  岬からはじまる戦後秋つばめ

  手に掬うべきものあまた寒の水

  冬木の芽なり憤怒にはあらず

  遠い約束ひまわりに火を貰う

  ヒロシマにブレンドされている何か

  忘却がみんな桜になっている

  幾万の蛍昭和という谷に

  原発に下萠ゆるとは怖ろしき

  忘れないための消しゴム原爆忌 

  母の掌幾度も咲いて毛糸玉

  陽炎の骨あるように立にけり

  雷兆す体よ僕に付いてこい


  窓秋忌声潜めれば紙乾く

   この句には、高屋窓秋の忌日は一月一日だから、それを詠む人は少ないが、高橋龍さんの〈終わりなき年の始の窓秋忌〉や大井恒行さんの〈歳旦の箸置きいくつ窓秋忌〉など味わい深い句もある。窓秋が元旦に没した年の七月二十九日に父が没した。平成十一年は忘れようのない年である。(中略)         (『ふりみだす』平成二十六年)


 と、龍さんともども、愚生句を紹介していただいている(ありがとう)


 秋尾敏(あきお・びん) 1950年、埼玉県北葛飾郡吉川町(現・吉川市)生まれ。



          芽夢野うのき「雲ひとつなき空や彼岸まで冬」↑

2022年12月25日日曜日

姜琪東「下駄はいて日本の正月しか知らず」(「俳句界」2023年1月号より)・・

          

 

「俳句界」2023年1月号(文學の森)、特集は「必読!俳人たちの名文」と「思わずうなる!上五・下五」である。が、本号の表紙には記されていないが、姜琪東の久々の登場は特筆すべきであろう。特別対談・姜琪東(文學の森顧問)とアドリアン・カルボネ(ルーヴェン大学准教授)「五七五のリズムを守りながら訳す」である。カルボネは高校時代池袋の城西大学附属高校に在学し、また北海道大学では客員教授を務めたことがあるらしい。現在は、ルーヴェン大学の韓国研究センターに居て、そこで姜琪東第二句集『身世打鈴(シンセタリョン)』(1997年刊・石風社)に出会ったという。その対談の中で、


カルボネ なぜそのタイトルに?

 姜   「身の上話」という意味だからね。

カルボネ あとがきには、「いわゆる〈句集〉ではない。俳句という表現形式による一人の在日韓国人による自叙伝」だとありましたね。(中略)ぜひ訳してみたいです。俳句ですから、できれば対訳(注・原文に並べて訳文をしめすこと)のような形がいいですね。フランス語にすることは、意味があると思います。(中略)

 下駄はいて日本の正月しか知らず

これを自分ならどう訳すかなと考えました。やはり俳句ですから形も決まっているし、それをどう訳せば良いのかを考えると、なるべくリズムもそのままにするのが望ましいですね。それで、〈Je ne connais que /le nouvel an japonais/ geta aux pieds〉と。

 姜   フランス語の語調がいいね。

カルボネ やはり、俳句は五七五ですから。このリズムを全く守らない訳者もいますが、私はフランス語でも五七五にしなきゃいけないとおもうんですよね。ですから、「じゅ・ぬ・こ・ね・く/る・ぬ・ゔぇ・らん・じゃ・ぽ・ね/げ・た・お・ぴ・え」になるんです。(中略)ですから、こういうふうに先生の句集を訳したい。


とあった。

 アドリアン・カルボネ(1985年フランス生まれ)。姜琪東(かん・きどん)1937年高知県生まれ)。愚生は、かつて、文學の森に数年、勤務していたが、入社する前に、偶然に属するが、姜琪東句集の『身世打鈴』は読んでいた。現在、85歳ほどになられていると思うが、ご健在のようである。慶賀。ブログ(2020年9月25日付「大井恒行の日日彼是」)にも書いたことがあるので、そこから他の姜琪東の句をいくつか紹介しておこう。


  水汲みに出て月拝むチマの母       琪東

  大山も姜(カン)もわが名よ賀状来る

  冬怒涛帰化は屈服父の言

  残る燕在日われをかすめ飛ぶ

  帰化せよと妻泣く夜の青葉木菟

  ビール酌むにつぽん人の貌をして

  鳳仙花はじけて遠き父母のくに

  父の意にそむき日本の注連飾る

  ひぐらしや嬰に添ひ寝して帰化迷ふ


ほかに、本誌本号には池田澄子「私の一冊」(『啄木寫眞帖』吉田子羊)と小澤實の特別作品21句があった。


  行く用のなき古里の雪予報      澄子

     田尻得次郎

  自首させる友情ありぬ秋のかぜ     實 



        撮影・中西ひろ美「凩や親戚の誰かれに似て」↑

2022年12月24日土曜日

斉藤志歩「水と茶を選べて水の漱石忌」(『水と茶』)・・・

           


 斉藤志歩第一句集『水と茶』(左右社)、企画協力に佐藤文香。2014年から2022年までの256句が収められている。解説は岸本尚毅、その中に、


 俳句を作るとき、あるいは読むとき、どんなところに拘るのか。この句集にこんな句があります。

   手の甲にカーテン支ふ冬の月

(中略)日常の事柄をさりげなく詠った作品です。作者の感じたことがそのまま伝わります。この作品がもたらす作用は、「伝達」というより、「再生」に近いかもしれません。作者が拘って選んだ言葉が読者の想像力に働きかけ、作者の体験が読者の頭の中で「再生」されるのです。(中略)

   まだ黒くなる芋虫の骸かな

 生きものの死にざまをリアルに詠んだこの作品にも、作者の好奇心に満ちた眼ざしが感じられます。(中略)

 この句集を読んで感じられるのは、とにかく、作者が楽しそうであり、俳句を通じて人生を面白そうに眺めている、ということです。われわれ読者もまた、この作者が遭遇する俳句現象を、面白がって眺めようではありませんか。


 とあった。ただ、愚生に不満があるとすれば、現代仮名遣いの方が、斎藤志歩の作品は、より活きるように思われたことであった。「俳句は現代詩である」とは堀田季何の言葉だが、こうした、若い人の作品を読むと、やはり、俳句の言葉もまた、時代を負っていると思うのだ。ともあれ、愚生好みに偏するが、集中よりいくつかの句を挙げておこう。


  バーの名の光れる路を提げゆく

  けふは肉あすは魚に年忘

  山眠るゆふぐれの鳥ふところに

  冬雲や焼肉を締めくくるガム

  東風吹くや鞄を出づる犬のかほ

  つくし野のつくしのまばらなるところ

  散る花に風の行く手のつまびらか

  秋風やきりんの首のよく見ゆる

  長き夜やひとり暮らしのトイレに鍵

  霜月や呼べばすぐ来る待合せ

  冬林檎歌へばちがふ声になる

  

 斉藤志歩(さいとう・しほ) 1992年生まれ。


★閑話休題・・斉藤志歩「木の実落つ今は手元にこの栞」(「むじな 2022」通巻6号より)・・


 斉藤志歩つながりで、「むじな 2022」通巻6号(むじな発行所)、特集は「斉藤志歩句集『水と茶』」。執筆陣は西村麒麟「薔薇」、千倉由穂「暮らすことの朗らかさ」、暮田真名「(酒量と同量の)水と茶」、榊原絋「私は斉藤。俳句をやっています」。一句鑑賞は板倉ケンタ・今泉礼奈・松本てふこ・西村結子・田口鬱金・浅川芳直。以下に、一人一句を挙げておこう。


  集落に人影蜘蛛の狩しづか        浅川芳直

  飛びのいている人がいる亀の鳴く     有川周志

  言霊のまず枯れそうな春の風邪     一関なつみ

  副賞の一本は温泉でありぬべし   うにがわえりも

  夏椿を記憶の蓋にして閉じる      及川真梨子

  段ボール箱に匿ひ竈馬          工藤 吹

  わづらひて八月の果つ九月また      斉藤志歩

  つま先の先つぽにつぼ春を待つ      漣波瑠斗

  曰く付きの橋夕焼沈む橋         佐藤 幸

  初めてのキャッチャー役や水温む     島貫 悟

  風船を母星に帰らせてあげる      菅原はなめ 

  良宵や隣家の「♪オ風呂ガ沸キマシタ」 鈴木あすみ 

  等比数列第n項に蜂           鈴木萌晏

  子鯨のうねりゆっくり胎動く       須藤 結

  梅酒瓶抱へし胸に実の泳ぐ        田口鬱金

  春風や骨美しきアーケード        武 元気

  卒業す『To LOVEる』全巻返却し    谷村行海

  島国に一島ほどの夏の雲         千倉由穂

  春風やメンバーカラーの緑着る      千田洋平

  みつ豆の今嚙んだのは豆のとこ      西野結子

  あざあざと傘差す音の祭かな       弓木あき

  シニヨンが電車の窓に触れて霧      吉沢美香

  地下通路浴衣にマスクきゃらきゃらと   米 七丸

  藪漕ぎの腕に刺さりし夏薊        若井未緒 



         撮影・鈴木純一「落葉ふむ

                 誰も死なない映画だった

                 ね」          ↑

2022年12月23日金曜日

小池正博「壊滅の序曲をかけて除幕式」(『海亀のテント』)・・



 小池正博第3句集『海亀のテント』(書肆侃侃房)、そのシンプルな「あとがき」を紹介する。 


 『水牛の余波』『転校生は蟻まみれ』に続き、『海亀のテント』をまとめた。二〇一六年から二〇二二年までの七年間の作品である。これで動物三部作が完結する。航海を終えて寄港した船底にはフジツボの類が付着していることだろう。

 ルサンチマンや事故模倣、川柳的技術などに混じって、やっかいなのは虚無感だ。句集を出すことで洗浄できれば嬉しい。


とある。集名に因む句は、


  海亀のテントめざして来てください    正博


であろう。ともあれ、門外漢ながら、愚生好みの句をいくつか挙げておきたい。


  酔うたびに街を消してもいられない

  入口に鳥 出口には鳥もどき

  褒められたときには顔を取り換える

  譲りあいながら音量が消えてゆく

  黄泉の河いっしょに遊んでくださるのよ

  逢いたいが虫の種類がわからない

  データには不慮の出会いも入れておく

  屋根に草生やしておけば暖かい

  空白を曳けば山鉾動き出す

  二人とも同じ匂いのする仮面

  この町の数えきれない避雷針

  肉食であれ草食であれぷよぷよ


小池正博(こいけ・まさひろ)1954年生まれ。



★閑話休題・・小池正博「身長を比べあう同姓同名のペンギン」(「川柳スパイラル」第16号より)・・


 小池正博つながりで「川柳スパイラル」第16号(編集発行人・小池正博)。特集は「『川柳スパイラル』創刊5周年の集い」。「編集後記」の中に、


 夏が過ぎ、秋から冬へと向かってゆくが、古いものは落ち、新しい表現が生まれてゆくことだろう。晩秋になるとリルケの「秋」という詩を思い出す。落葉のように私たちはみな落ちるのだが、その頽落を受け止めるやさしい掌があるというのだ。


ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。


  編み上げた夜をあなたに渡そうか     清水かおり

  とりあえず泣く雨の日のやじろべえ     畑 美樹

  インターホンにて所感を述ぶるなかれ    湊 圭伍

  赤だしも白だしもいいおとしごろ      一戸涼子

  難問を解いた銀杏から落ちる        悠とし子

  不死身です丹下左膳もぼくちゃんも     石田柊馬

  ヒロヒトの煮る時雨煮に似た寛子      川合大祐

  プルタブを引く終わりの始まり       浪越靖政

  憲法」を保つ立派な「日本国        飯島章友

  あふれつづけるものこぼしつづけて今日   兵頭全郎



     撮影・芽夢野うのき「壊れるって最後の積木つんだから」↑

2022年12月22日木曜日

恩田侑布子「よく枯れてかがやく空となりにけり」(『はだかむし』)・・


 恩田侑布子第5句集『はだかむし』(角川書店)、その「あとがき」に、


 天空の書斎に恵まれた。冬は安倍川のほかほか日あたる石河原。春は木見色川の花の奥。野山に新茶のさみどりがはしれば、小瀧のそばの楓の下が涼しい。本書はその岩場を机と椅子に、水音を聞きつつ選句にはげんだ。透きとおる若楓はいつか青天井になり、木末のかなたの駿河湾は、すでに秋めく紺青の帯をながしている。(中略)

 ウイーンの古都を抜けて、ドナウ川に会いに行った。(中略)あのモスグリーンの静かな水が、きな臭い黒海、戦乱のウクライナのほとりに流れ入ることを思うと。「核」と地球温暖化は、季語の本意(ほい)さえ変えかねかねない。


 とあった。つい先日、澤好摩と数年ぶりに会い、歓談した。その折、本句集にも話が及び、「冨嶽三十六景」の章、冒頭の「初富士や大空に雪はらひつゝ」は、イイね、と愚生が言ったら、「そうだろ・・、句集にする前に見せてもらったとき、この句がいい、と僕も言ったんだ・・。納得してなかったようだけど・・」と返ってきた。集名に因む句は、


  うちよするするがのくにのはだかむし


 であろう。ともあれ、以下に、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。


  身一つ容れゝば縊れ花の闇           侑布子

  つゞれさせゆめには夢をあたふべし

  足もとのどこも斜めよ野に遊ぶ

  なきひとは在りし人なり木の芽風

  形代へ吹く息けもの臭きかな

  春雷の涯(はたて)へひとを送りけり

  あをあをと水の惑星核の冬

    二〇一八年七月オウム死刑囚十三人処刑

  ハルマゲドン骨粉となる半夏生

  南冥へ波上げにゆく瀑布かな

  渦銀河敵も味方もサピエンス

  身一つを谷に漱ぐや銀やんま

  ほそ道やひかり長けたる花ふゞき

  雨あしにくぼむ春水ちゝとはゝ


 恩田侑布子(おんだ・ゆうこ) 1956年、静岡市生まれ。

  


    撮影・中西ひろ美「つやつやの汝に触れむとすれば落つ」↑