2014年6月7日土曜日

2冊の『豈』・・・

下段『豈』が正本↑  
 
 
川名つぎお句集『豈』(現代俳句協会刊)の2冊目が送られてきた。
理由は「先に謹呈いたしたものに製本上の不備があり、再めて上製本として作り直した」のだそうである。
従って、本文の句の内容は先に贈られてきた『豈』と全く同じである。
先に贈られてきた句集と見た目に違う部分は装幀のみである。
不備であったのは、初版が略フランス装の本で、どうやら背の糊付けが悪く開くと表紙も本文用紙もバラバラになってしまうのでいうことらしい。
このたび贈られてきたのは、普通の上製本でしっかりした造本だ。
とはいえ愚生に贈られてきた先のフランス装のものは、背は剥離したものの句を読むについては全く支障はなかった。
最近はあまりないようだが、少し時代をさかのぼると、同じ本でも初版と再版の本の装丁が違うものもあった。
そうすると、初版の古本の価値が上がった?ようで、さらには好事家などには、落丁本や製本断裁のミスで市場に出回り、もしくは回収されて、希少本になったものの方が値が上がってしまうということもある。
その伝でいけば、この川名つぎ句集も、「こちらを正本とさせていただきます」という文言からすると、いわゆるゴミ同前となった最初の版の方に値がつくという結果になるやもしれない(何年後かはわからないが・・)。
川名つぎおは、その略歴によると昭和10年、東京市蒲田区生まれ、本名・次雄。平成元年に多賀芳子に師事とある。その多賀芳子生前に、川名つぎおを「豈」同人にと身柄を預けられたのが、平成4年、攝津幸彦が亡くなる4年前のことであった。
句集『豈』は、『程』『尋』に続く川名つぎおの第三句集である。句集題はどれも一文字である。
いくつか句を拾ってみたいが、「おれ」、つまり、自身を詠みこんだ句がかなりある。そこには川名つぎおの心の在り様、置かれどころが垣間見えるのである。

    今朝の秋きのうのおれがまだ着かぬ
    短日やぼくはぼくに近付くまいと
    朝焼と季語集がおれのララバイ
    自分から逃げた自分が原風景
    消えかたはおれと同じさ冬夕焼
    おれの掌が犬の目玉と押しあえり
    原爆以後わが身の内は他者になり
    我の字に戈ありわれは夏野の木
    ゆく秋の荷物はおのれ自身なり
    川名つぎおで虎穴におりている    
    川名つぎおのうしろにまわらない
    
   
あと一つの特質は、3.11以後をめぐる震災句であろう。
いささかのニヒリズムがそこに胚胎しているので、顰蹙を買うことも考えられるが、その批評性にはするどい指摘もかくされているようだ。あえて言えば、その先の世界を手繰り寄せなければならないのではなかろうか。それは、いささかの時間と、実に困難な試行をまたなければならないのかも知れない。

     東日本大震災 一群 5句 (第三章 平成23年ー24年)
   絆なき牛寄ってくる冬山河
   ヒロシマになりたかった福島県
   遺族あり風化することの明るさ
   本能は巨大地震を待ちながら
   四季に降りそそぎ臭わない見えない

    東日本大震災 2群 9句 (第四章 平成25年)
   防潮堤なしに逃げきっていた
   新しく津波忌ふえて無音なり
   ヒロシマは火偏・フクシマは日偏
   三度目は全域おぼろのみちのく
   ブナ林に縄文食のあるものを
   みちのくは椎栗実るブナの国
   混農林か滅びゆく無住地か
   激震や西に東に渡り鳥
   原発という戦争になっている

最後に愚生好みの句をいくつかあげさせていただきたい。

   海溝の棚場に鑑(かがみ)と沈んでいる
   きみをゆるさぬきみがいて涼しい
   衣食たりて家出するしかない
   ここ戦火のかなた愕然と飽き
   食い罰を言う人なしに青田かな

                エリカ↑

*閑話休題
2,3日インターネット・メールの不具合が続いていて、今日ようやく回複した(ブログもメールもダメだった)。
愚生の鼻ポリープは術後2週間を過ぎ、順調に回復基調です。
本誌「豈」も、変わらず、のろまな歩みですが、予定の7月下旬出来を目指して稼働中?です(少し遅れるかも・・・)。
(早々に玉稿をいだいた方々には恐縮ですが、御礼を申しあげ、中間報告とさせていただきます)。

                                                   ドクダミ↑

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