2015年8月15日土曜日

三橋敏雄「戦争の個個の残像流れ星」(信濃毎日新聞平成9年8月15日)・・・



三橋敏雄自身が切り抜いた新聞のスクラップ(夫人の三橋孝子さんからお預かりした)を眺めていたら、偶然にも本日付け(8月15日)の信濃毎日新聞の村上護「けさの一句」欄に出くわした。その句が、

    戦争の個個の残像流れ星      三橋敏雄

である。今年は戦後70年ということもあって、ジャーナリズムはこぞってその特集を組んでいる。が、しかし、村上護の言を借りれば「それを語る体験者もだんだん少なくなってゆく。当の個人においても体験は風化する。生々しい戦争という大テーマは問題になりにくく、残像のごとき体験談ばかり。それもいつかは消失してしまうのだ。流れ星のごとく、あれよあれよという間もなく燃えつきてしまう。そんなむなしさを詠めば抜群、「峯雲はみな新しや小日本」「爾来五十余年無駄死口惜し戦友忌」の作など」(村上護・作家評論家)とするどい。
こう記した村上護も亡くなってはや二年が経とうとしている。
三橋敏雄にはほかに昭和20年8月2日未明の八王子市の大空襲を契機に詠んだといわれる「いつせいに柱の燃ゆる都かな」の句がある。「さいわい全員が無事だったが、街の中心にあった家は、真っ先に焼け落ちた」(遠山陽子『評伝 三橋敏雄』)とあった。


                  サルスベリ↑

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