2016年2月19日金曜日

前田典子「仰ぎ見る木に見られゐて春寒し」(『WEP俳句通信』90号)・・



今日は、4月下旬の暖かさというお天気で、明日は気温もぐっと下がり、荒れ模様の雨予報が出ている。「WEB俳句通信」は「70代俳人」の特集である。その中で目に留まったのが前田典子。昨年、第16回現代俳句協会年度作品賞の受賞者である。昭和15年11月、東京都生まれとあるから、当年取れば76歳だが、先般の現代俳句協会総会の折にお会いした時には、とてもそのような年齢の方には見えなかった。愚生とたいして変わらず、せいぜい60歳代後半の印象だった。失礼をしてしまった。年度賞作品もおおむね安定した句作りであったように思う。その折の句は、

       包丁に鱗張り付く初しぐれ       典子
       木枯しに慣れず一樹のなほ戦ぐ
       樹の抱く時間に触るる余寒かな

最後に挙げた句の「余寒かな」には、このブログのタイトルにした句の「春寒し」と、ほぼ同様のことだろう。それでも「春寒し」の方が春に比重がかかっているぶんだけ心に陰翳を生じる。作者は木に対するのがお好きなようである。
「WEP俳句通信」では、他に「豈」同人の筑紫磐井が「新しい詩学のはじまり(二)」と北川美美が「三橋敏雄『眞神)考③」を連載しているので、興味をもって読んでいる。筑紫磐井は『俳諧史』を編んだ栗山理一と金子兜太の近現代俳句史が「一卵性双生児である」という仮設を用意し、それを「証明を行うことができると信じるものである」と挑発的だ。
内容とは全く関係のないことで、少しばかり苦言したいのはカッコ「」のなかが、二重カッコやほかのカッコの記号で区別して示されていないので、「「・・・」」となってしまい、判別がつきにくいのは、不親切なのではなかろうか。WEP編集サイドで、キチンと書き分けるように指示していただきたい、と思う。いくら筑紫大先生の原稿だからといって、言いなりにスルーしているのはいかがなものか・・・。
ついで、と言っては失礼だが、北川美美の三橋敏雄の引用句の解説、冒頭で「無季句」というのはいいとして(「無季」で可かな・・)、「季語あり」は、愚生には少し気にかかる。単に「季語」だけで「あり」は無用ではないのか。そのあたり、わざわざ記すあたりは、著者の気持ちがわからないでもないが、淡々として、ムキになることもないだろう、と思う次第。

   ぶらんこを昔下り立ち冬の園        三橋敏雄
   むかしより蕎麦湯は濁り花柘榴      山本紫黄
   軽石の昔ながらに軽き夏          大高弘達
   われら皆むかし十九や秋の暮       高柳重信



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2 件のコメント:

  1. 大井様 無意識に書いていましたが、「無季」ですね。「無季句」という表記は他でみたことないですね。 「季語あり」というのも見た事ないです。 恥をいっぱいかいている今回の連載です。ありがとうございます。 (北川美美)

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  2. いえいえ、どういたしまして、こちらこそ余計なことを・・・ちょっとドキドキしながら読んでいるんです。

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