2016年2月26日金曜日

若林奮「飛葉と振動」展(府中市美術館)・・・




今年に入ってから、府中市美術館で若林奮「飛葉と振動」展(~2月28日まで)が行われている。
必ず観に行こうとおもっていたのだが、地元で、いつでも行けるとタカをくくっていたら、バタバタしていたこともあって、いつの間にか展示期間が過ぎようとしていた。とにかく、今日しかないと思って行った(京王パスポートを持っていると2割引きで560円、その他いくつかのカードも対象になっているらしい)。
美術館のある府中の森まではよく散歩にいくので、美術館の前庭に置かれている「地下のデイジー」は行く度に眺めている。鉄の彫刻家のイメージがあるが、それだけではないこともわかった。
愚生の記憶違いかもしれないが(何しろ略歴に記されていないので・・)、確か以前に佐倉の川村美術館で若林奮展を観た記憶があるのだが・・・
意外と若くして亡くなった。略歴には享年66。亡くなって13年が経つ。
それで思い出したことがある。略歴に「1995~2000年 ゴミ処分場建設に反対する市民運動トラスト地に《緑の森の一角獣座》を制作(東京日の出町・現存せず)」とあったので、そういえば愚生もそのトラストの一本の木を買い、トラスト運動に参加したことがあった。「作品が現存せず」とあるのは、都による強制撤去が行われたからだ。愚生の木も強制撤去されて、撤去費用も都から請求されたことを思いだした。
もっとも、一人当たりにすると大した金額でもなかったような気がするが、弁護士事務所を通じて、みんなで供託したようなことがあった。その後はどのようになったかは、覚えていない。きっと委任状を書いて、最後は運動のカンパ金になったのではなかろうか。
若林奮展は良かった。書肆山田『「対論◆彫刻空間ー物質と思考」若林奮×前田英樹』もあったし、俳人では馬場駿吉の名や、詩人では吉増剛造の名もあった。



                地下のデイジー↑

美術館のリーフレット(2002年)には、

 (前略) 後に彫刻の可能性を考える時、これらの経過を通して私はふたつの視覚的方向を考えてみた。ひとつは自分の前方であり、、他の一つは自分の垂直の下方である。1976年、この考え方で《振動尺試作》、《100粒の雨粒》を制作した。《振動尺》の系列は、その後も種々の形で続けたが、垂直方向の視線は思考の中にとどまっていた。一方《地下のDAISY》は垂直方向の系列に属するものであるが、私の位置との関連で別の要素を多く含むものであった。《地下のDAISY》は、地下の想像を加えたものである。

その「地下のデイジー」は、わずかに地上に顔を出しているが(デイジーとはヒナギクらしい)、その下には厚さ2,5センチの鉄板が123枚重なって埋められていて(約3メートル)、地表に出ているのは3枚分だけ。しかも手作業で掘った穴に1枚約70キログラムの鉄板を重ねていったという。無垢の鉄は銀色に輝いていたらしいが、雨を含んで急速に赤茶色の錆を吹き、設置後10日ほどの後、薬品処理をして赤錆を全体に定着させたのだ、という。



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