2016年5月26日木曜日

武藤雅治「ふりむけばかあさん、あ、いたいよお、あ、いたいよお、ふりむけばか」(『あなまりあ』)・・・



武藤雅治、歌誌「月光」に所属と記してあるから、福島泰樹との縁である。生まれは1951年、神奈川県。句集も『かみうさぎ』『花蔭論』と2冊ある。歌集は、本歌集で第6歌集とあった。著者「覚書」によると、

 十数年前から「朦朧体新定型」、あるいは「みそふたもじ短歌」と自称する作品を詠んできた。黄金律の「定型」に並行して、ひそかな、実験的な思いを込めて詠みつづけてきた。

という。「みそひともじ」ならぬ「みそふたもじ」というわけだ。また、こうも記している。

ひそかな、実験的な思いなどと気負ってみたものの、ぼくの朦朧体」は、しょせん高瀬作品の亜流なのかも知れない。だが、亜流のなかからではあっても、独自の定型意識を、これからも模索し続けたいと思う。

高瀬作品とは、「短歌人」発行人だった高瀬一誌の短歌作品のこと。その高瀬作品えお評して、小池光は、

まず、リズムであるが、短歌特有の流麗感に全く乏しい。絶対に朗詠できない歌である。要点をぶっきら棒に言ってしまって、それで終わる。
 といって自由律かと思えば、それとも異なる。どこかに不思議と定型の痕跡が残っている。高瀬独特の奇妙なリズム感である。(中略)
 それ自身、永遠性、絶唱性を至上とする「うた」への類例のないアイロニーである。(『現代歌人250人』牧羊社)

という。ともあれ、以下にいくつかの作品を挙げておこう。

  いまだも天皇の裡に棲まふわたくしたちを撃つ奥崎謙三か三島由紀夫か   雅治
  そのうちにきつとまちがふだらうからそんなのいそぐこともないのにさ
  かげろふのやうにコスモスが咲いてゐるフクシマと呼ばれても美しい
  このほしにこはれないものはないがてのひらにひかりのたまごをのせて
  ふたつみつしはぶきがしてはじまる夜から終りのない夜がはじまるのだ
  わだつみの沖くれなづみほのじろく水漬くかばねのうねりうねりなす波
  あつちからみればまざはりのえだもこつちからみればなくてはならない
  あの人もこの人もみなさん血をぬかれてかへつてくるときはいい人です
  せうふくをきるとなんとなくできるかもしれないとおもへてしまふから



               クリの花↑

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