2019年9月2日月曜日

酒巻英一郎「天縛や/降り籠られし/葛の花」(『多行形式百句』より)・・



 林桂編著、俳句詞華集『多行形式百句』(鬣の会・風の冠文庫26・1000円)、本著は類を見ない労作である。それを著者自身「あとがき」の冒頭に、

  多行形式を〈史〉的に論じたものも、またその詞華集も今まで知らない。言わばそれを多くの俳人や研究者の興味関心の対象外だったからかもしれない。荻原井泉水を嚆矢とするという指摘や戦前の吉岡禅寺洞の存在を指摘するのを散見するが、それが具体的にどのようなものであったかまで踏み込んで論じるものに出会っていない。戦後に限っても、多行形式は髙柳重信の形式であるという浅薄な認識は散見するが、戦後の青年達の俳句改革の試行の中から誕生したという正確な認識に届いているものを見ない。(中略)
 それぞれの多行形式は有機的な影響関係を持つにしても、それぞれの形式を求めての道程にある。多行形式とは何より個々の志によって立つことを示すものである。でなければ、そ形式をもって排除の力が働くような現在の俳壇にあって、書き続けることは困難である。

 と述べている。本書の序として、高柳重信「『多行表記について』部分「俳句評論」第九十三・九十四号・昭和四十四年七月」が掲げられてる。それは、

  端的にいうならば、多行表記は、俳句形式の本質が多行発想であることを、身にしみて自覚しようとする決意の現れである。したがって、俳句表現を、一本の垂直な棒の如きもの、として、認識しようとする人たちには、もちろん、多行表記が存在し得るはずはないのである。まして、俳句形式について、如何なる洞察をも持たないか、あるいは持とうとしない人たちには、はじめから、一行も多行も、それこそ、何も存在しないはずである。

 と、記されている。思えば、1969年のこと、すでに半世紀、50年前のことだ。愚生はまだ弱冠20歳。髙柳重信にも出会っていなかった。そして、この序をしごく真っ当なことだと思う。本詩華集の巻頭作品は、

   船焼き捨てし
   船長は

   泳ぐかな          髙柳重信(『蕗子』昭和25年8月)

 巻尾は、

   日没(にちぼつ)
             (みづ)
           (はな)るる
   (たま)   いくつ      中里夏彦(『無帽の帰還』平成30年11月)
 
 後半は句集ではなく、「Ⅱ雑誌」よりの再録があり、その巻頭は、
 
   潦に残る夕日
   繪本拡げをる露店     荻原井泉水(「層雲」大正3年)

巻尾は、

  揺れっ
      だ

  時計口の中で冷たい     林 稜(「鬣」第69号・平成30年11月)  


ともあれ、以下にいくつかの句を挙げておきたい。

  莟ム
  薔薇
  満月ハ
  渤海ニ在ル       志摩 聡(『裸婦学』昭和35年10月)
   *
  ふりかへる
  長き尾が欲し
  枯野驛         大岡頌司(『抱艦長女』昭和48年3月)
   *
  焼野匂(やけのにほ)へり
  (とほ)
  
  性慾花(せいよくはな)のごとし  林 桂(『黄昏の薔薇』昭和59年3月)
   *
  癩病院
  埋める ひまわり
  埋まらぬ  まど     野原正作(『放心圖』昭和61年12月)
   *
  森羅
  しみじみ
  萬象
  一個の桃にあり      折笠美秋(『火傳書』平成元年3月)
   *
  われら昔
  虚数なりけり

  二十歳         岩片仁次(『冥境歳時記』平成15年7月) 
   *
  幾春かけて
  水上飛行機
  はるかも
  はるか          高山れおな(『俳諧曾我』平成24年10月)
   *
  撃チテシ止マム
  父ヲ
 
  父ハ           上田 玄(『暗夜口碑』平成30年10月)

以下は「Ⅱ雑誌」より・・。

  夜ぞよべり
  海門(みなと)に死にしおほなつを  左部赤城子
                   (「天の川」昭和10年10月号)  
   *
  日像(ひ)
  ひかり平和に
  ひとつひとつの石器たち  山崎靑鐘(「山脈」22号 昭和16年)
   *
  風 風 風
   骨止む
  黒い蟻の埋葬       富澤赤黄男(「群」9・10月号 昭和22年10月)
   *  
  胸の都 ただれ
   だれか 駆け抜け
  夢の輪 くずれ      楠本憲吉(「弔旗」第2号 昭和24年5月)
   *
  敗走の 
  未明 ぐるりは
  葦折れぬ         本島高弓(「詩歌殿」2集 昭和25年3月)
   *
  ひろしまに
  あゝ
  血まみれの
  鳩を抱き         野田 誠(『平和祭』昭和27年5月)
   *
  きつね火の
  ポポロ
  ポポロ
  と 睡る森       寺田澄史(「薔薇」昭和31年3月号)
   *
  甕沈む

  万の祷りの
  万の水甕        川名 大(「俳句評論」第28号 昭和38年11月)
   *
  老婆の貌
  花蕊に灯る
    底なし沼     水野とみ子(「俳句評論」第91号 昭和44年4月)
   * 
  鳥刺(とりさ)しや
  竜飛(たつぴ)
  冬(ふゆ)
  足袋(たび)も穿(は)かず 澤好摩(「未定」NO25・26昭和60年7月)
   *
  凶器研ぐ

  羽化寸前の
  學校靈           田辺恭臣(「夢幻航海」第15輯 平成10年9月)
   *
  兄のからだに
  兄の血ほろび
  
  牡丹雪           外山一機(「鬣」第67号 平成30年5月)
    
 他に論考としては、林桂「多行形式の道程」(「鬣」71号 令和元年5月)の転載が、俳句形式の辿ってきた道をつまびらかにしていて貴重である。
  

 撮影・葛城綾呂 オッ、カラスだぁ↑

0 件のコメント:

コメントを投稿