2019年9月23日月曜日

高岡修「蜂の眼よ死せば涙の乾きし眼」(『剥製師』)・・



 高岡修第7句集『剥製師』(深夜叢書社)、帯の惹句には、

 〈原爆〉と〈東日本大震災〉は、私たちにとって実存にかかわる痛切な問題である。高岡俳句の〈白虹の包帯で巻く原爆ドーム〉や〈みちのくに指紋まみれの空がある〉などは、『史記』に出てくる「白虹、日を貫けり」の奇跡的出現といえないか。ここには過酷な時代状況を踏まえ、自己の存在責任と歴史における主体性を闘いつつ、それを独自の表現へと形象化する営為が見てとれる。高岡俳句が「現代思想の小舞台=言語宇宙」といわれる所以である。

 と記されている。また、著者「あとがき」には、

 私は十八冊の詩集を刊行しているが、第一詩集以外は全て書下ろしである。早いものでは二日で、長くても一ヶ月半ほどで一冊分の詩を書き上げた。(中略)
 結果的に私は一ヶ月半ほどで二百句ほどを書き上げた。それほどの数だからテーマの持ちようもないはずだ。ところが、かなりの数の作品が二つの事象に収斂されてゆくのが分かった。二つの事象、原爆と東日本大震災である。
 原爆は私の師・岩尾美義の生涯のテーマであった。十代の頃から岩尾師に心酔していた私もまた、原爆というひとつの地獄を、私の内界深く沈めることとなった。原爆はまさに人災の極限だが、3・11以降、原爆にあの巨大な天災も加わった。

 と述べている。あるいは、また、「形象」2019年5月号からの高岡修の抜粋も帯裏に引用されている。それは、

  世界に(あるいは全宇宙に)無数にある痛点を、言葉の針によって刺し貫く、その痛点の輝きが、現在の俳句の喩空間である。

 と・・。集名に因む句は、

  夕焼の腸(わた)豹に詰め剥製師     修

 だろう。ともあれ、集中よりいくつかの句を以下に挙げておきたい。

  陽炎を朱肉としたる印を押す        
  破鏡のそらあつめて風船ふくらます
  蝶の舌水の殺意に触れひるむ
  春泥にまみれていたる虹の足
  死者の息足して激しき草いきれ
  原爆の影を折り継ぎ鶴とする
  死螢を流し死にたる火を流す
  蜥蜴より切れ永遠がピクピクす
  土踏まず何を踏むべき帰り花
  ビルのあいだの縊死する空のための縄

 高岡修(たかおか・おさむ)1948年、愛媛県宇和島市生まれ。


  
撮影・葛城綾呂 逝く夏の・・ ↑

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