2022年6月20日月曜日

半澤登喜惠「『桔梗の水替えた』病室の白板に」(『耳寄せて』)・・

 

  半澤登喜惠第一句集『耳寄せて』(金雀枝舎)、序は今井聖、その中に、


 (前略)登喜惠作品には、従来の俳句にい生かされて来た嘘の正義や嘘の倫理観への信奉を恥ずかしく思い起こさせるような率直さが提起される。

  賞味期限無かりし頃の祭の夜

 祭や夜店を郷愁でしか詠えない俳人はこの句に違和感を覚えるかもしれない。どうしてもすべてを郷愁の中に包み込みたいから。夜店で食べたさまざまの食品の成分や衛生状態はどんなものであったのであろうか。(中略)

  父の日と気付くポンペイ遺跡の中

 「父の日」は登喜惠さんの父上のことを思ったのではあるまい。日頃「お父さん」と呼ぶ夫君のことを考えたのだ。何千年も前の遺跡の中で夫への祝意を感じている。

「お父さん、ありがとう。ご苦労さまと」。

 登喜惠さんは、自己を飾らずに実直に詠んできた。そこは今流行(はや)りの「凛」も「毅然」も「自然体」も見当たらない。ただ素朴にがむしゃらに生きて、そういう自己を赤裸々に詠んできた。

 そしてこれからもそうやって詠んでいくだろう。


 とあった。また、著者「あとがき」には、


  思えば六十歳で短歌に、七十歳で俳句に出合えたことは幸せなことでした。遅い出発ではありましたが、俳句は先の見えてきた私の人生の伴侶として余りあるものとなっています。


 とある。集名に因む句は、


   春暁や死にゆく人に耳寄せて


 である。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。


   秋の蝶麒麟の首を降りて来る

   黄葉す瘤のある木と洞のある木

   母の短歌父の俳狂夜長かな

   誕生も死も抱くマリア銀河澄む

   花疲れ硝子にガラス注意札

   戦中の少女は傘寿豆の花

   臨月で迎えし母の敗戦日

   あと二枚足りぬ補助券冬の雷

      阿修羅像

   三つの顔互ひに知らず春灯

   「一輛目に乗って居ります」鳥雲に

   ライトアップの棚田に百の夏の月

   昔庄屋のどこに坐るも隙間風


  半澤登喜惠(はんざわ・ときゑ) 1931年、愛知県瀬戸市生まれ。



        芽夢野うのき「回れ回れ矢車そう淋しさも」↑

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