2022年6月6日月曜日

志賀康「声になる言葉なけれど山葡萄」(「LOTUS」第50号)・・


 「LOTUS」第50号(LOTUSの会)、特集は、第50号特別企画の「LOTUS 50句シュンポシオン」。いわば、各自50句の作品特集である。志賀康の「巻頭随筆」には、


 (前略)俳人の挑戦の意味は、作句の行為そのもののもつダイナミズムやインパクトの追究にある。私はそれを「俳句作品行為」と呼んで論じてきた。

 作品行為のインパクトとは、言い換えれば未知のものとの遭遇であり、そのたびごとの新しい経験のことだ。新しい経験が欲しいばっかりに、俳句を作ってきたというのが正直なところだ。(中略)

 これは私の個人的な感想なのだが、「LOTUS」に限らずほかの俳句同人誌を含めて、どうも全体として内向きの集団になってきているような気がする。内向きというのは、たとえば同人の作品特集や句集評が多い(これには私も恩恵に浴したのだが)とか、自己の俳句論の開陳が少なく過去の俳人の主張を跡付けるエッセイが多いとか、全体に批判が抑えられて相互承認の姿勢が目立つ、というようなことだ。


 と、記されている。ともあれ、その句作品の中から、各同人の一句を紹介しておきたい。


  冬霧や山巻きもどる裾野より       丑丸敬史

  廃園の砂場星夜に光りだす        奥 山人

  糞ころがしの何処までが暮秋       小野初江

  石榴割るために一雷を賜りし       表健太郎

  姥巫女と鬼やまぐわう火のなだり     九堂夜想

  手の灰を吹く 人は橋のように朽ち    熊谷陽一

  言の葉の最後ももいろしぐれして     三枝桂子

  

  擾乱の

  この人を見よ

  花を見よ   (二〇〇五・一)    酒巻英一郎


  百代草大地思わず振り返り        志賀 康

  澄みきっている春水の傷口めく      曾根 毅

  みちゆきのはなびらゆきのみちのくの  高橋比呂子

  雪の午後にも痣がある          古田嘉彦

  風の音(と)の遠きうつつや肩ぐるま   松本光雄 

  ケロイドの誰のものでもない残響     無時空映 


               

      撮影・中西ひろ美「ざあざあと袋の外の世界かな」↑

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