2014年5月20日火曜日

井泉水忌・『私の空間』・・・




 本日5月20日は、荻原井泉水忌である。
1884(明治17)年6月16日~1976(昭和51)年、享年91の天寿をまっとうした。
その井泉水に弟子の内藤寸栗子の句集「『私の空間』」に寄せた序文がある(『井泉俳話』四「この一筋を行く」収載、春秋社)。
昭和4年に書かれたものである

「『私の空間』ーいい名である。これで此書の持ち味が全体的に出てゐる」に続いて、

   (前略)此「空間」には鍵といふものがかゝつてゐない、扉がない、他の誰でもが勝手にそこに入ることが出来る。しかも、それに依つて自分のプライヴェートの寛ぎが少しも煩はされないばかりか、却つて、そこに自分達のくらぶ(…傍点あり)としての親しみを感ずる所の「空間」をー。
 斯ういふ好い「空間」を此作者、寸栗子君は持つてゐるのだ。(中略)兎も角、君の「空間」がますます広く大きくなつて、ここに万人の心を容れてくつろがせる「空間」となるであらう事を私は期待してゐる。

 いわば、新進の俳人への推挽の気持ちのあらわれた文である。芭蕉を敬愛していた井泉水は、名吟の数では蕪村に軍配を挙げるが、切り札を出し合う場合は、蕪村は芭蕉に及ばない、それは蕪村には「危うきに遊ぶ」ということがないからだといい、俳句を創作するよりも自分を創作するという気持ちが足りないともいう。そして、「佳句の少ない事、駄句の多いことなど決して恥になることではない、ただただ進むがいい、進めば通ずる、通ずれば達する。つまり、絶えず試みるといふ気持こそ、常に自分を創ることになつてくるのである」(「芭蕉と蕪村」昭和2年12月)と述べている。
 俳句を書き続ける行為というのはこの試みを続け続ける志のことであろう。


                                              ユウゲショウ↑

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