2014年5月28日水曜日

もうひとりの子規が現れはしないか・・・


句歌詩帖「草藏」第75号(2014年五・六月、草人舎)は、綴込みで「子規句集」の興味ある特集をしている。名付けて「仮綴・第一輯『子規句集』(虚子選外)-自明治十八年 至明治二十七年」(佐々木六戈選)。どうやら一集では終わらず、第四集まで続くらしい。楽しみである。
第一輯においては約120句が選句されているが、序とも言える佐々木六戈「もうひとりの子規」には以下のように記されている。

   有名な話であるが、岩波文庫の『子規句集』に虚子は〈鶏頭の十四五本もありぬべし〉を採らなかった。何故なのか。わたしは虚子選の頑迷を撃つために次のことをするのではない。わたしは虚子の序文を読めば分かることだが、、虚子の選句は信頼に足るものである。にも拘らず、わたしも改造社版『子規全集』の一、二、三巻を底本にして、もうひとつの『子規句集』を編むことにする。
 「虚子の採らなかった句全部を、もう一度検討し直す必要があろう」(玉城徹『子規ー活動する精神』)の声に導かれて、ここからもうひとりの子規が現れはしないか。 

また、編集後記にあたる「草愚勘弁」には、

  追記すると、選句するにあたって、私は改造社版の『子規全集』はもとより、岩波文庫『子規句集』に首っ引きで臨んだが、かとうさき子と青木空知の両名が選句した「子規百句(仮)(虚子選外)も参照した。虚子が選ばず、私が選んだ句の両名の選句眼を信じた訳である。それはあたかも、子規の二万句の大海原に浮んだブイの役割を果たしたのである。

子規は最晩年、病状の悪化にもかかわらず、俳句もさることながら、短歌も旺盛に作っている。それは寒川鼠骨の編んだ岩波文庫『子規歌集』にまとめられている。あるいは、柴田宵曲『正岡子規』にも子規居士の辞世「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」とともに長歌として「旱して木はしをるれ、待つ久に雨こそ降れ、我が思ふおほき聖、世に出でてわをし救はず、雨は降れども」と記されていることで伺い知れる。激痛のなかで、自分の体にこんな痛みが襲うとはまったく考えもしなっかったと嘆きながら、病状六尺などを書いて、活字なって、日々載ることを楽しみしとし、かつ生きがいにした子規であった。言えば、生きる唯一の激しい希望だった。

                                                    ムギ↑

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