金田咲子第二句集『平面』(ふらんす堂)、集名は、次の句から、
死は平面しづかに春の逝きにけり 咲子
ブログタイトルにした句の「あつよほら」の「あつ」は、「平成二十七年三月二十六日、七十四歳で忽然と世を去った」(あとがき)夫・穆(あつし)のことである。生前はきっと「あつ」と呼びかわしていたのだと思う。ほかにも「あつ」を詠んだ句はある。
あつが死んだ日囀りの口が見え
夫よ来よ盆の俳句を作るため
夫の忌の鼻の頭を春逝けり
夫誕生日
ぬるっと柿食べて誕生日祝ふ
逢ひにくる夫よ達者か盆の道
あつもいま見てゐる頃か旱星
金田咲子は愚生と同年生まれ、飯田龍太に師事し、「雲母」終刊ののちは廣瀬直人「白露」同人を経て、現在「郭公」同人。1984年に第一句集『全身』(牧羊社)がある。
銀杏落葉祈りの量と思ひつつ 『全身』
以下に本集から幾つか、愚生の印象深い句を挙げておきたい。
冬青空明日をはるかとおもふとき
臥して見る暑き日の空終るとき
剪りもどす花又咲いて昼寝覚
抜かれある草にも露のはげしかり
その中に母のいろある春の虹
金田咲子(かねだ・さきこ)昭和23年、長野県飯田市生まれ。
猩猩草(しょうじょうそう)、撮影・葛城綾呂↑
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