2017年8月9日水曜日
中島修之輔「米兵の巨大な尻や遠き夏」(『系譜』)・・
中島修之輔句集『系譜』(文學の森)、「あとがき」によると著者の俳句の出発は、
ストレスフルな仕事を終え、余生を豊かにすごすべく趣味を広げました。緑の保全のボランティア活動(鎌倉の緑のレンジャー)、市民農園の農作業、俳句、俳画などです。俳句は地元の結社「和賀江」に入会し、志摩和子先生から写生中心に基礎を教わりました。
とある。その後病に倒れ、退院後リハビリを続けながら、「嘗て現代俳句協会の通信句会に参加し大牧広先生から特選をいただき感激した記憶を頼りに『港』に入会しました」とあった。その大牧広は序文で、
『系譜』の著者が「港」に入ってこられて、すぐに直感したのが著者の作品が知的であり、その知的な作品に流れているのが、「反骨」ということであった。「反骨」、こう思われるのは、その人が意志的であるということである。いわば「日和見」という言葉と対峙するが、この「反骨」は自信と知性がなくては、只の変り者にしか見えない。ゆえに、氏の作品の底に「反骨」の気脈がながれていることに強く共感したのである。
と述べている。
著者は「句業なお未熟とおもいつつも、相次ぐ病気や怪我から実年齢以上の老いを実感する昨今、ともかくも生きた証しとしてこの辺で句集に纏めておきたいと思うようになり」(あとがき)と謙遜して語っているが、「笹鳴やわが伸び代も信じたし」という句が巻末に置かれている通り、まだまだクタバルわけにはいかないという意思がある。
ともあれ、いくつかの句を以下に紹介しておこう。
沖縄忌追悼の辞に虚実あり 修之輔
開戦日記念写真にわが童顔
葉桜や遠き記憶の樺の忌
夏深く三池炭鉱不滅まり
花見酒散華といふ語みな忘れ
文弱に建国の日の昏かりし
下萌や餓鬼の頃から反巨人
墓洗ふ洗はれる日が来るまでは
長生きを許されてまた敗戦忌
すすき原この世の妻と歩きゐし
股引や粋な老などあるものか
中島修之輔(なかじま・しゅうのすけ)、昭和11年、東京港区生まれ。
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