2020年7月6日月曜日
橋本直「百舌叫び鋭き山本美香忌なり」(『符籙』)・・・
橋本直第一句集『符籙』(左右社)、栞文は鴇田智哉「フレームのクール」と阪西敦子「強くなければ生きられない、優しくなければ生きる資格がない」。その栞の結びに鴇田智哉は、
そして、面白いことに、終りでノンブルがターンしている。そのターンに沿って、今度は、田園の句をはじまりとして、ページを右へ、右へ、と逆方向に読み進めてゆく。初めから終わりまでを、そして反対の初めから終わりまでを、自然な流れに沿ってたゆたうことができる。
個々の句に特有の思わぬフレームを楽しみつつ、それらの行き来の中に身を置いて、海を漂うかのようにいることができる。『符籙』とは、そういうひとつの本なのであった。
と述べ、また、阪西敦子は、
直さんのゴシップ性の強さは、わたしたちがあまりにも正しいことや、洗練されたものには興味を持ち続けられないことにも通じている。知的でワイルドでスマートだけれど、どこかに下世話な優しさの漂う「中年」句にしばし耽溺してもらいたい。
と記している。本書には、また、長い自跋が付されている。それには、
(前略)句が読まれる場にいるのは、わたし/あなたではなく、わたし/あなた、ではないようなものであり、むしろ著者とその名で編まれた句のありようは、詠まれたものが読まれることで積極的に変容するようなものと考える。
とあり、あるいは、
(前略)虚子の弁は一見、個人句集は故人の追善句集であるべき、という俳諧の旧弊に囚われていたように見える。しかし、彼らは、宗匠俳諧を批判し、近代文学としての俳句へ舵を切った作家たちであり、本気でそれを墨守するつもりがあろうはずがない。(中略)子規の序文にある正直な逡巡は、そのような思いを私にいだかせる。言い換えれば、句の創作の空間は、自他の枠を超えた共同による相互作用が機能するのが常であり、共同を通していわゆる近代的自我の唯一絶対性に揺らぎをもたらす。この明治期の画期は、それでも/だからこそ、本にまとめて世に出しあうところまで進んだことだ。今や無名に近い、初期個人句集刊行に関わった俳人達、岡本癖三酔、高田蝶衣、中野三允らは、みな虚子のはじめた鍛錬句会(俳諧接心)の、若き仲間だったのである。いま、この時にこそ、句集の近代の海に漕ぎ出した彼らの感覚を、我が内で共有してみたいと思うのだ。
とある。ブログタイトルの句の山本美香は、奇しくも橋本直と同年齢のジャーナリスト。2012年、シリアで取材中に銃撃され殺された。享年45。ともあれ、待望の橋本直の句集である。愚生好みに偏するが以下にいくつか挙げておきたい。
遠足のまたも時代を間違へる 直
いつまでも怒らぬ人やかき氷
唐辛子国に逆らふ話する
鳥渡る殿下の足は内を向き
いくつかの言語の咳が響きけり
燗酒に手をかけて寝てをられけり
行進が昭和のふりする体育祭
敗戦忌いきてる父も無口であり
タイ・カンボジア
雨季蟬は優しく鳴くですとBON氏
バレテ峠
フィリピンの冷たい風の死ぬところ
敗戦忌まじめな舌と生きてゐる
弾圧虐殺粛正抑圧なきことを願ふ初詣
田園の絶対をもてあます
橋本直(はしもと・すなお) 1967年、愛媛県生まれ。
撮影・芽夢野うのき「白地着て鳥と睦みしことはるか」↑
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