2021年1月1日金曜日

大井恒行「杖上げて牛後(ぎゅうご)の天にたたく音」・・・謹賀新年!

       謹賀新年!皆さんの、良いお年になりますように!

(2年前、古稀を機に年賀状はすべて失礼しています。本年もよろしくお願いいたします。)


    
            

             リーフレットの設計・装幀・造本は菊池信義↑

 書肆山田は、初代・山田耕一が岡田隆彦詩集『海の翼』を最初の刊行物として出版してから、今年で50年、その書肆を引き継いで、鈴木一民・大泉史世が吉岡実詩集『ポール・クレーの食卓』を出版してから40年の節目になるという。つまり、10年前の40周年に東京堂書店で行われたフェアーのために、お客に配られたのが、リーフレット「書肆山田の本と書肆山田」(上掲写真)である。



 愚生には、最初の私家版手書き句集『秋(トキ)ノ詩(ウタ)』(KN企画印刷・1976年刊)50句・50部限定の制作をしてくれた鈴木一民に、再び、句集『風の銀漢』(書肆山田・1985年刊)を出版してもらっている。その頃は、出版事情に、とりわけ疎かった愚生は、費用のみならず、跋文の清水哲男「天と破調」、福島泰樹「風の無頼漢」への稿料など、すべてを書肆山田のお世話になったのだった。
 ともあれ、書肆山田40周年の際のリーフレットから、愚生の新陰流兵法修練時代の直接の師範代であった前田英樹の玉文を紹介しておきたい(鈴木一民も一時期同門で稽古をしていたKN企画印刷は、新陰流兵法転会師範・渡辺忠成がおられた会社である)。

前田英樹
 書肆山田について私が何かを述べるとしたら、それはまず感謝ということになる。最初の本『沈黙するソシュール』を出してもらった時に、私は自分が何者であるかが急にはっきりとした。書肆山田は、著者に対してそういう作用を及ぼすことのできる出版社と言っていい。また、驚くべきなのは、ここから刊行される本の世界性である。それは、現在の日本語に対して、文学が負う責任をひたすら果しているところから来るように思う。
                                (哲学者・批評家)

 ちなみに『秋ノ詩』、『風の銀漢』の愚生の巻頭の拙句は、それぞれ、

   墓標(はかじるし)目に沁む「くらい秋だねぇ」     恒行
   二十歳にて鬼見る病果てもなし
   
 である。


     撮影・芽夢野うのき「赤べこに雪ごろつきもいる楽しさよ」↑

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