『石井辰彦歌集』(砂子屋書房・現代短歌文庫151)、帯には、
歎きの歌人は自らの魂を削って歌を紡ぐ/決して希望を失うことなく/悲しみを祓い浄めるために/ひとり果てしなき道をゆく
単行本未収録連作短歌を多数収録した初の自選作品集
とある。 石井辰彦にとって、表題に「歌集」としたのは初めてだという。かつ、巻末の「覚書」の中には、
単行本未収録の連作短歌八篇を、文体の特色や創作時期により四つに分かって収録し、未公刊の長歌二首をこれに加えた。その時々の著書のテクスチュアと相容れなかったため、筐底に秘して来た作品群である。これら十篇は今後も他書には編入せず、本書でのみ読むことができる状態に留めおくこととしたい。
と記されている。歌論は二篇「定型という城壁ーその破壊と再生」、「心情の器、詩の器ー二〇〇一年九月十一日以後の短歌」が収められている。ここでは、後者の歌論の終盤の部分を少しだが、引用紹介しておこう。
(前略)詩は言葉で世界を認識しようとする行為である。短歌という詩型もまた、古来そのために使われてきた。詩型とはすなわち詩の器なのであって、言い換えればそれは、心情の器ではなく認識の器なのである。始まったばかりの二十一世紀は確かに困難な時代であり、酷薄なテロリストたちにせよ戦争好きの政治家たちにせよ、誰もがその時々の感情、大辻隆弘の言葉を借りれば、「デモーニッシュな感情」や「正しい認識」以前の、「原初的な心情」にまかせて行動しているように見えるが、そのような感情や心情の吹き荒ぶ嵐の中で歌人は、静かに世界を認識し、その認識を短歌という器に盛り込むべく全力を尽くさなければならないのだ。
最後に連作短歌の部位に収められた大辻隆弘の一首を引用し、それに並べて、その短歌への批判として書かれたかのような岡井隆の一首を、連作短歌「葡萄系のことば」から引用しておこう。
タリバンをわが精神の支柱とし耐へたる九月十日あはれ
征戎(せんさう)を歌へばいきいきと溷濁(こんだく)ししやうもなやしやうもない短歌(みじかうた)
短歌は「しやうもない」詩型なのだろうか?否!瞬間の心情を超えた認識の器であるかぎり、短歌という詩型は真正の詩たり得るはずなのである。言うまでもなく二十一世紀の短歌は、まず詩でなければなないのだ。
ともあれ、集中より、挙げれば切りの無い短歌から、いくつかの短歌を以下に挙げておきたい(原歌は正字)。
喉(ノド)や渇く 深井の底のまひるまの乱るる星の天(そら)を汲まばや 辰彦
神掛けて実も葉も赤き七竈(ナナカマド)心見せむややまとことのは
弟の墓を守(も)るなる鈍色(にびいろ)の海にも雪は降りそめにけり
水脈(みを)ひとつ残して暮れぬこのつぎは双子の兄として生(うま)れたし
死者は生者/生者は死者の如くにて・・・ 掲帝(ギャテイ)! 暁天(ゲウテン)には鳥の聲
難民(ナンミン)の列に我(われ)から加はりぬ。立入禁止区域(オフリミツツ)の(西の)外(はづ)れで
遥けくも烟(けぶ)れる丘を(さういへば久しく見ない)見て泣きなさい
火と燃ゆる酒を賜(た)べ わが酔ひ痴れしうへにも酔ひてみたき夏の夜(よ)
新しき罪を照らさむ料(れう)として夜更(よふけ)しづかに月 のぼりくる
反歌(単行本未収録長歌の)
灌頂を美酒もてなさば現身(うつしみ)は(即ち〔すなはち〕)墓碑(ぼひ)。と、言はば言ふべし
石井辰彦(いしい・たつひこ) 1952年、横浜市生まれ。
芽夢野うのき「紅梅の一輪崩した犯人いづく」↑
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