2021年1月27日水曜日

岡井隆「歌はただ此の世の外の五位の声端的(たんてき)にいま結語を言へば」(「現代短歌」NO.83より)・・


 「現代短歌」NO.83(現代短歌社)の特集は「追悼 岡井隆」。佐伯裕子「『鵞卵亭』のリアリズム」と「岡井隆の秀歌50首」選、メール対談・加藤治郎VS大辻隆弘「岡井隆の歌集を読む」、「歌集解題全34冊」、林浩平「プリコラージュの詩学」など。

 興味をひかれたのは、加藤治郎と大辻隆弘の対談の冒頭で、「ベスト歌集は『人生の視える場所』『禁忌と好色』」とあって、お二人が初期に手にした歌集がいずれも現代歌人文庫『岡井隆歌集』であった、ということ。それに対して、佐伯裕子の「秀歌50首」には、『人生の視える場所』からも『禁忌と好色』からは一首も採られていなかったことだ。幅広く大部の数の歌だから、そういうこともあるだろうが、もしかしたら男性歌人と女性歌人では、抽いてくる歌が違ってくるのかも知れない。林浩平の論の結び近くに、


  (前略)岡井隆の文学論の書きぶりの大きな特徴は自ら語る「書き癖」に表れている。(中略)

 こうした書きぶりを「出たとこ勝負」と呼んでおきたい。入念に吟味した素材を用意して、隙のない論理構成で展開する論者というタイプではない。ありあわせの材料で出たとこ勝負、そんなプリコラージュ式の岡井の文学論は、滋味掬すべき味わいを持つテクストとなるのである。


 とある。愚生にとっては前衛短歌運動の岡井隆であったから、『土地よ、痛みを負え』であるが、改めて、驚き、手に取った歌集は、岡井隆が疾走し、短歌を書かなかった時期を経た直後に出た『鵞卵亭』である。愚生が書店員だった頃の、その詩歌の棚に、仕事で、その歌集を棚に差したときである。それ以来、さして読むことのなかった岡井隆を最後に読んだのは、晩年の大冊『ネフスキイ』である。果敢だとおもった。


 ひぐらしはうつとしもなく絶えぬれば四五日は〈躁〉やがて暗澹(あんたん)  隆


 あと一つの思い出は、たしか、東京で、坪内稔典らと開いた現代俳句シンポジウムの三橋敏雄と岡井隆の対談で、岡井隆が日野草城は俳句界でもっと見直されていいのではないかと語ったことである。そして、「子規新報」第2巻・第81号の宇田川寛之「となりの芝生―「短歌の現在・163回」の結びに、「『未来』の編集発行人は大辻隆弘氏が引き継ぐことになった」とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの歌をランダムに挙げておこう。


 キシヲタオ・・・しその後(のち)に来んもの思(も)えば 夏曙(あけぼの)のerectio penis

 原子炉の火ともしごろを魔女ひとり膝に抑へてたのしむわれは

 詩歌などもはや救跋(きゅうばつ)につながらぬからき地上をひとり行くわれは

 来年もわれら同志でありうるかそれはわからぬそれが同志だ

 灰黄(かいこう)の枝をひろぐる林みゆ亡びんとする愛恋ひとつ

  右翼の木そそり立つ見ゆたまきわるわがうちにこそ茂りたつみゆ

 ヘイ 龍(ドラゴン)カム・ヒアといふ肥がするまつ暗だぜつていふ声が添ふ

 白鳥(はくてう)のねむれる沼を抱きながら夜もすがら濃くなりゆくウラン

 つきの光に花梨(くわりん)が青く垂れてゐる。ずるいなぁ先に時が満ち


 岡井隆(おかい・たかし) 1928年1月5日~2020年7月10日、享年92。名古屋市生まれ。



          芽夢野うのき「いつ死ぬも無になる蠟梅の盛り」↑

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