2021年1月14日木曜日

祖翁「清く聞ん耳に香炷(たい)てほとゝぎす」(『そのにほひ(全訳)』)・・


         

  中嶋鬼谷翻刻・解説『弘化三年刊 俳諧集 そのにほひ(全訳)』(私家版)、その「はじめに」の中に、


 (前略)ここに翻刻・解説する俳諧集『そのにほひ』は、弘化三年(一八四六)に芭蕉百五十回忌追福の句碑建立を記念して刊行された句集である。

  清く聞(きか)ん耳に香炷(たい)て子規(ほとゝぎす)   はせを

 句集名は右の句碑にちなんで名付けられたものである。

 ところで、この句集は永年不明であったが、福島幸八氏が「埼玉史談」(昭和四十年発行、第十二巻第二号)に記念句集の存在することを紹介した。

 句集原本所有者は小鹿野町長久保の旧家・高田家。

 写真家であり、郷土史研究家である野口正史氏が『秩父の俳句紀行』(二〇二〇年十一月一日刊)を刊行するにあたり、新たな資料を蒐集した際に原本に辿り着いた。ここに幻の句集が姿を現すことになったのである。拙著はその句集の全訳である。

 漢文の「序」は秩父が生んだ高名な学者、日尾荊山(「解説」参照)。

「仮名序」は江戸の俳人来孤山人卓郎で、句集に登場する見外、爲山とともに江戸三大家と称せられた人物。「後引」(跋)も意中人由之。(中略)

 投句者総数四三四名の大冊。句集は彫り、印刷から見て当時の地方で作れるものではなく、二松學舎大学名誉教授の矢羽勝幸氏によれば「江戸版」と呼ばれる句集であるという。

 

 とあり、また、著者「あとがき」には、


 私が古文書解読に取り組み始めたのは、わが家に残されていた安政年間の古文書の内容を知るためであった。どうにか解読した一部は拙著『井上伝蔵とその時代』(埼玉新聞社刊)の中に、

 第三章 幕末の下吉田村ー無宿甚蔵一件

として収めてある。


 と記されている。愚生がかつて、井出孫六の『秩父困民党群像』の次に、興味をもって読んだのが、秩父事件と俳句を描いた中嶋幸三著『井上伝蔵ー秩父事件と俳句』(邑書林)だった。この著者が、俳人・中嶋鬼谷と同一人物であると気づいたのは、しばらくしてからである。生まれ育った地への愛着であろうか、その地から輩出された文化に対する中嶋鬼谷の愛着にも並々ならぬものが伺える。ともあれ、本著から翻刻の冒頭「百韻」初折の表のみになるが、以下に紹介しておきたい。


        


清く聞ん耳に香炷(たい)てほとゝぎす  祖翁

 ここにもうつし夏の俤          不識

晴れて行く雨のあと追ふ風吹いて      卓郎

 ふねさしもどるゆふべせはしき      兎仙

肴さへあらば開かんひと徳利        双湖

 出入りに袖のさはるまき藁        由之

(こおろぎ)鳴く音も細る月かげに    叩月

 露の光りのもみぢかつちる        幻外  (以下略)


 中嶋鬼谷(なかじま・きこく) 1939年、埼玉県秩父郡小鹿野町生まれ。



     撮影・鈴木純一「草の葉の枯れて楽しもしゆるりぴよん」↑

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