2021年1月3日日曜日

秦夕美「天領や縄とびの影したゝかに」(「GA」86号)・・・

 

 「GA」86号(編集発行人 秦夕美)、新年の挨拶に、

   明けましておめでとうございます。

 まだ、この世で動いています。昨年第十七句集『さよならさんかく』を出したのちも、俳句は書き続け、今は部首に凝っている。例えばニンベンで十句、シンニュウで十句と遊び出すと止まらない。そんなわけで「舞珠(部首)」五十句を書いたが、中秋の名月前後の月があまりに見事だったから、「月の譜」十句を書き、「蕪村へ」は一句のみにした。個人誌なので編集の変更は勝手にできるが、頁数をふやすと、製作費と送料が高くなる。全てが個人負担、なるべく経費は抑えたい。最初に定型郵便にしたいと考えた誌形なのだ。(中略)

 表紙の葉は鶏頭。矮性だが、花の色はきれい。今年も生きるのかな?


 とあった。あるいは、見開きのエッセイ「もう?まだ?」には、


 六十二年も書き続けて、まだ書きたいことがある。仕事というより、道楽にちかいので、気が向いた時だけ集中して書くのだが、それは噴き出すように言葉が湧いてくる。何も考えてはいない。きっと何者かが書かせてくれるのだろう。ある言葉がひらめくまで、時間はかかる。その間、料理や手仕事、孫との付き合いなど日常もろもろをこなす。これら全てがふっと途絶える。それが死なのか。


 ともあった。ともあれ、集中より、いくつかの句と歌を挙げておきたい。


  夢の字は艸(くさかんむり)や夏嵐        夕美

  般若にはならず柩に大西日

  きわだつや遊悲の丘の夕芒

  まあそれは別の夜のこと細雪

  新月や野はいさゝかの風を食み

  ぬけるやうにはゆかぬ青空八月を散らばる破片無数の破片

  冬の虹かすめゆけるは何ならむ静かなる水さわがしき水



★閑話休題・・向瀬美音「晩年の身の未知数や桐一葉」(『Haiku Colum』Vol.6)・・

 「『Haiku Colum』Vol.6 /世界の俳人90人が集うアンソロジー」(ふらんす堂)、「Haiku Colum」 主宰・向瀬美音の「あとがき」の中に、


Haiku Columのメンバーはどんどん増え、現在2200人である。はじめは国籍は分からず、言語のみでメンバーを理解してきた。

しかし、歳時記を作るにあたって、メンバーの国と名前を全て日本語で示すことになった。これは大変な作業であったが、本当に地球儀を一周するような経験をした。知らない国もあり地図で確かめた。しかし、今は全員の国籍がわかって楽になってきた。

歳時記と今回の機関誌から、日本語訳を17音で統一することにした。

2行を直訳してから、日本語訳を17音にする作業なので、意訳は出来るだけ避けられたと思う。

この十七音訳によって、日本の俳人が海外の俳人の句に関心を持ってくれたらと願う。(中略)

そして、永田氏の7つのルールを徹底させて、句は、省略の効いた、名詞を中心とした短いものになってきている。シラブルのことは最初、考えていなかったが、結果として10シラブルから15シラブルの間に収まってきている。

そうすると日本の17音の俳句に訳するのもそれほど難しくない。

中にはそのまま17音におさまる句も出てきた。


 という。ここでは、すべて紹介しきれないので、日本語の句のみいくつか紹介しておこう。そして、同送されたもう一冊の櫟原聰著『TANKA YAMATO』(原句はローマ字読みと英語、フランス語訳付)から、一首。


 余震なほ闇深むまで虫鳴けり            永田満徳

 半世紀旅したような夢はじめ            向瀬美音

 ハロウィンの句会に魔女の二三人          中野千秋

 盂蘭盆会お経の中の物語            Aniko PAPP(ハンガリー)

 日本語の読めないメニュー秋惜しむ       Tanpopo Anis(インドネシア)

 風強き冬至や毛糸取り出して          Angiola lnglese(イタリア)

 積み上げた本の中より春の色          Marie Soucramanien(フランス)

 りんごひとつ手にもつ時に空深く果実に降るは果実の時間   櫟原 聰



      芽夢野うのき「風を聴く耳つわぶきにもあるか」↑

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