水岩瞳第二句集『幾何学模様』(ふらんす堂)、集名に因む句は、
エプロンの幾何学模様レモン切る 瞳
であろう。 著者「あとがき」には、
三年前から始めた短歌も、短歌とは何かという問いはありません。小説は勿論、短歌も紆余曲折を経て、今では何でもありになりました。何でもありとは、表現の多様性であり、表現の多様性あってこそ、文学です。(中略)
だから、「俳句とは何か」「俳句は文学なのか」という問いが付きまといます。俳諧はもっと自由なものではなかったのか。(中略)
芭蕉ほど作風を変えた人はいません。作風の変遷を繰り返しながら、俳風を打ち立て、不易流行を宣布し、最後は軽みについて力説した芭蕉です。しかし、晩年の俳風が芭蕉の究極の作風というわけではない。そう誤解されることを恐れて、「俳諧いまだ俵口をとかず」と言い残しました。この言葉は、俳諧の可能性は無限にあると、芭蕉が固く信じていたということではないでしょうか。
とあった。誰しもだが、俳句を志した人の多くは、口の端にのぼらせるか否かは別にして、句を書くたびに、「俳句とは何か」という問いを発しながら、句を書き続けるのである。そういう魔訶不思議な形式なのだ。
俳句を始めて十四年、まだ俳句がよくわからないという私の疑問に、池田澄子先生は、「私もわかりません。わからないから、俳句をしているのです。」と、答えて下さいました。わからないから、俳句をしている。この御言葉に、私は大いに納得し、大いに励まされました。(同前)
ともあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが幾つかの句を挙げておこう。
戦争に使はれし日々花の雨
零戦は飛ぶ八月の海の底
忠魂碑のそばの馬魂碑五月雨
色変へぬ松にも変はりたき心
鶏頭の十四五本の中の鈍
ダ・ヴィンチの未完の右手冬深し
もう誰のものでもないと切れた凧
脱脂粉乳いまは無脂乳昭和の日
旧舎から移らぬ象や木の実落つ
黒板に晴の字残る三月忌
鯉幟のなかの青空折り畳む
水岩瞳(みずいわ・ひとみ) 名古屋市生まれ。
★閑話休題・・・訃報・北川美美「囀りやたしかに空の空は空」(「豈」63号より)・・・
北川美美は、「豈」同人にして事務局、BLOG「俳句新空間」等にも、協力してもらっていた。繰り返された入退院の闘病中も「WEP俳句通信」に、三橋敏雄論を書き継いでいた。が、彼女の訃報に接することになった。
去る1月14日に亡くなり、葬儀その他は、終えられたということだった。享年57の若すぎる死である。ご冥福を祈る。合掌。
北川美美(きたがわ・びび) 1963年9月24日~2021年1月14日、享年57。
撮影・鈴木純一「多くの俳人は変わりたがるが、ほとんどのランナーは変わっている」↑
0 件のコメント:
コメントを投稿