「花林花」2021・VOL.15(花林花句会)、特集は「俳人研究 山口誓子」。同人それぞれが、誓子論を展開しているが、高澤晶子「俳句表現に於ける山口誓子の変遷」と題して第一句集『凍港』(1932年)から第7句集『晩刻』(1947年刊)を論じ、終えているのは、たぶん、山口誓子に学ぶべきものは、一応ここで区切りがついているということなのかもしれない。その結びに、
川音に冬の翡翠ただ一羽 晶子
誓子の『七曜』『激浪』『遠星』『晩刻』を通読して、私は淡々とものをよく見ることを学んだ。
月明の宙に出て行き遊びけり 山口誓子『晩刻』
とあった。愚生も多くの人たちと同じように、長く、現代俳句は山口誓子から始まったと教えられ、そう思ってきたが、今では、やはり、高屋窓秋「頭の中で白い夏野となつてゐる」(昭和7年)の句から始まると考えている。ともあれ、同誌本号より、以下に一人一句を挙げておこう。
鬼灯を翳しあちらへ行きなさる 高澤晶子
あおあおと青松笠はよき硬さ 廣澤田を
背泳ぎのばた足で蹴る雲の峰 石田恭介
一茶忌や死の家の詩今ここに 榎並潤子
ふたところよりスズムシのふた音色 金井銀井
愛日や石の三猿皆痩せて 原詩夏至
厚氷一縷の草を織り込めり 鈴木光影
従弟・飯田邦夫との別れ
君送る夜の七夕飾りかな 島袋時子
雛一対秘めごとつひにあばかれず 福田淑女
杜若むらさきという色に咲き 宮﨑 裕
気がつけば行年同じ冬線香 杉山一陽
青空のノート注文梅雨の空 岡田美幸
熟れて割れじぐじぐどぅるる僕トマト 内藤都望
★閑話休題・・・山口誓子遺句集・二冊の『大洋』について・・・
「花林花」の特集「山口誓子」つながりで思い出したこと。山口誓子には、二冊の遺句集がある。一つは『大洋』(明治書院・平成6年刊)と『新撰 大洋』(思文閣出版・平成8年刊)である。『大洋』のほうは、松井利彦が「あとがき」を記し、その結びには、
(前略)ところが平成四年のサハリン行は誓子自身が
日本時代の面影は全く無く、外国になってた
と言っているように、太くて薄い虹の懸る、文字通りの外国行であったのである。それは八十年間、誓子の中に生きつづけてきた樺太を消し去ってしまった。(中略)
それは又、自分の中に生きていた日本の残像との訣れでもあった。
「皆さん、これが最後です。さようなら。さようなら。」
の言葉の中には心の中に生き続けた日本とそして日本領樺太の風物との訣れの言葉でもあったのである。
それに加えて再び来ることのない「ふるさと」樺太に対する永訣の言葉であったことを知るとき、一層の悲しみが加わる。
とある。では、同じ遺句集である『新編 大洋』は、何故、出版されたのか。そのことは、新撰の「あとがき」に、句の実作はされてこなかったが、弟の末永山彦が、
兄、誓子の遺句集となった第十七句集が、大洋の名の下に世に出ることは然るべきことであったから、編者からの提案に対して私共は直ちに承諾をした。
作者による自選が望めない遺句集であるから、作品の殆どを網羅したものを思い描いていたのであるが、平成六年明治書院より刊行された『大洋』は、編者の別個の判断によって、「天狼」発表作品四百八十二句から百八十六句(年間自選十句の中の十九句も含む)が省かれたものであった。
誓子が一年にわたる推敲ののちに「天狼」に発表した作品は余さず収めたかったし、他の新聞・雑誌に寄せた分についても、最後の気力を傾けてものにしたそれらを、相当量句集に留めたかった。(中略)
従って本書には『紅日』以後、「天狼」平成五年九月号(最終号)に至る期間の「天狼」発表の全句四百八十一句、これに加えて外部発表の百三十三句を収めた。
本書の六百十四句を含めて、『凍港』にはじまる全句集所載の作品の総計は九千八百三十九句となる。
と記している。以下に幾つかの句を挙げておこう。
坪庭の雪いつまでも穢れざる 誓子
紅椿壁爐の上の瓶に挿す
死者の山下りて生者の寒き村
雪の富士宝永山も雪の壺
初凪の眞つ平なる太平洋
山口誓子(やまぐち・せいし)1901・11・3~1994・3・26、享年93.京都市生まれ。
逝去の翌年、阪神淡路大震災により誓子居は全壊、解体撤去。全遺産は神戸大学に寄贈。
0 件のコメント:
コメントを投稿