2018年11月5日月曜日

森山光章「〔抜苦与楽を慈悲という〕、わたしは、一隅を照らす(・・・・・)、、」(『常在靈鷲山』)・・



 森山光章詩集『常在靈鷲山』(不虚舎)、巻頭の献辞には、

  霊山一会の無量の菩薩・・・文底秘沈の種本を了して久遠元初の下種の位に立ち還りて本地難思の境智の妙法を信ずるが故に皆悉く名字妙覚の極位に到るなり。
                (日寛『当流行事抄』)

とあり、後書には、

 表題は、『妙法蓮華経・如来壽量品』から取った。テクストは、わたしの「墓」である。そこには「億劫の辛労」がある。そこには、感謝のみがある。

 もとより、浅才、菲才の愚生には、いかほどの理解がとどくとも思われない。ただ、
森山光章の詩歌のスタイルは、すでに確立された一流を成していると思われる。ならば、いくつかの詩行を以下に打ち並べて読者にその一端を披歴するのみである。

 〔空〕の論理(・・)は、〔改變〕の根拠(・・)である—「いつくしみの家」の
みが、ある、、

 〔詩〕は、「無能者」の言之葉である、壊滅の闘争(・・・・・)のみがあるー、

この「宇都之(うつし)」で〔信行学〕に励(はげ)み、永遠の(・・・)「福徳」をつむーそこには「来世」だけがある、

〔無いすら無い〕の空無(・・)、〔零度の世界〕に〔終わり〕の闇(・・)より力動を与える(・・・・・・)ー、

〔終わり〕の闇(・)から〔終わり〕という現実(うつし)へ、越えていく(・・・・・)-〔悪〕は痙攣する(・・・・)、、


〔元気で楽しい〕「宇都之(うつし)」ー〔終わり〕の〔改変〕は、ここに究竟する(・・・・)、、〔衆生所遊楽(しゅじょうしょゆうらく)〕、

「困難と苦しみ」は、楽しみであった、-〔煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)ー生死即涅槃(しょうじそくねはん)〕、遺念はなにもない(・・・・・・・・)、、







★閑話休題・・妹尾健「コスモス通信」とりあえず七号↑・・・


 その中で「モダニズムの行方」と題した「武馬久仁裕著『俳句の不思議、楽しさ、面白さーそのレトリック」を読んで」の書評がある。以下の部分に感じるところがあったので引用しておきたい。

 たとえばその二十七「官能的な読み」の場合、武馬氏は「俳句は視覚手に読むだけでなく、身体的にも読むべきものです」いわれてみれば、ぼくらは俳句を視覚を中心として理解しようとする。写生の呪縛はあまりにも深くて大きい。(中略)
 これは俳句にとってたいへん残念なことであるといわねばならない。こうした秩序化から解放するのが、本来モダニズムがもっていた性格であるはずだ。(中略)
 武馬氏の本はそうした傾向に対する根本的な問いかけを含んだ本である。レトリック感覚を日本人はあまり得意ではない。どちらかといえばだじゃれや言葉遊びは得意であるが、これはレトリックとはいわない。そこにはもっとも大切な批評精神が欠如しているからなのだ。




2018年11月4日日曜日

茨木和生「残されしわれも遺品か春の星」(『潤』)・・・



 茨木和生第14句集『潤』(邑書林)、表紙装画には妻の茨木多佳子のトールペイント、題箋は著者。邑書林社主は、イバさんこと茨木和生の教え子である島田牙城。これも美しい。「あとがき」には、

 句集『潤』は私の第十四句集である。私には五人の孫がいるが、潤はただ一人の男の子である。その潤の名を句集名とし、その誕生日を句集上梓の日とした。『潤』という句集名は妻も賛成してくれていた。

 その妻を失った嘆きをもとにした句が多いが、それは当然のことだろう(生前の句も挙げておこう)。

   虫出しの雷にも妻は寝てゐたり     和生
   妻恐れゐし雀蜂打ち殺す
   病室に妻を残して初詣
     二月二十一日の妻は
   青空と言葉でいへて春の昼
     二月二十四日、孫の恵が妻に「おばあちゃんはじいちゃんをどう思ってるの」
     と聞くと「だいすき」という。
   ダイスキが最後のことば春日差
     二月二十六日午後五時十六分 妻昇天
   息絶へてゆく春日差傾きて 
   野に遊ばむ命生き切りたる妻と
   帰りたき家に遺体で戻り寒
   雉鳴けり妻の棺を持ちをれば
   雉の声棺の妻に聞かせけり
   わが妻もあの世の人に万愚節
   万愚説妻死にたると思はれず
           れんげ編みたる妻見し記憶あり
   妻植ゑてゐたる花食べ雀の子
   妻と来しことのある野に青き踏む 

 その他にも妻恋の句はあるがこれで止めおこう。いずれも絶唱ならん。ともあれ、以下には愚生好みの句をいくつか挙げておきたい。

     一月十一日生まれなれば
  喜寿といふ齢うれしき祝月
  樹々の雪落ちずに凍ててゐたりけり
  春の滝いちにち日差届かねど
  一枚の紙折れば鶴春の雲
    悼 小路紫峡先生
  花どきの神の御国に入られけり
  日雷真上に鳴りし記憶なし
  浪殺し途切れず積まれ雲の峰







★閑話休題・・「間村俊一装幀展-ボヴァリー夫人の庭」・・・

        11月2日(金)~11日(日)午後2時~8時

 都内に出たついでに「間村俊一展 ボヴァリー夫人の庭」(於:根岸そら塾)を観た。
  偶然、四ツ谷龍と会った。これから金沢に行くのだと言っていた。彼には、鎌倉の冬野虹展に続き、先日の間村俊一『彼方の本』の出版を祝う会でもお会いした。



   因みに「『庭』に捧ぐ」と題した間村俊一の句をいくつか以下に紹介しておこう。

     装幀としての庭
   鶫来てをりボヴァリー夫人の庭      俊一
     女主人(マダム)逝く
   柳散る忌中の札も中根岸
     小火としての装幀
   主(あるじ)亡きボヴァリー夫人の庭に小火(ぼや)




2018年11月3日土曜日

笠原タカ子「野生茸(たけ)包みて『河北新報』来」(『痕跡Ⅱ)・・



 笠原タカ子句集『痕跡Ⅱ』(私家版)、後書に相当するところに、

 平成二十五年一月、夫笠原正敏は還暦をむかえました。記念に何か贈りたいと考え、この十数年共に興じてきた俳句を句集としてまとめようと思いたちました。

とあり、発行日を見れば、平成二十六年二月十八日発行とあった。また、夫・笠原正敏句集『鉄馬』の発行日は平成二十六年一月二十日であった。少々興味を惹かれたのは、『鉄馬』の巻尾に「レコンキスタを読む」(月刊「レコンキスタ」平成25年2月号掲載)と「私的な回想としての尖閣、魚釣島」(月刊「レコンキスタ」平成25年8月号掲載)とあったことである。中でも、

 (前略)私は末席を汚しただけでしたが、宴たけなわには「笠原君」ときに「おにぎり君」と「狼の歌」や「蒙古放浪歌」を聞きたいとせがまれました。私の人生にとって大東亜戦争敗北後のレコンキスタ運動に深く関わり、また、命を懸けた先生方の機微に触れることができたことは神仏からの授かりものであったのかもしれません。有難いことです。レコンキスタ運動はエンドレスです。

 とあった部分である。ならばきっと昭和維新の歌(三上卓作詞)も歌われたに違いないとおもったからだ。愚生も全く立場が違うとはいえ、若き日「蒙古放浪歌」や「昭和維新の歌」はよく歌った。少ないがカラオケにも蒙古放浪歌は入ってるところがある(いまだ昭和維新の歌の収められたものはないが)。二昔前に「俳句空間」(弘栄堂書店版)では野村秋介に俳句作品の寄稿をお願いし掲載させてもらったこともあった。俳句は「目白俳句倶楽部」というサークルで小山二六齋の指導を受けたとあった。
 ともあれ、以下にご両名の句集からいくつかの句を挙げておこう。

  哄笑の誰とは知れず春の闇        タカ子『痕跡Ⅰ』
  双眸(そうぼう)の火を盗みたし螢の夜
  良夜かなノー・ウオーと鳴く猫の本
  回転ドア四月一日まはしをり
  寒夕焼赤きは神の範疇(カテゴリー)      『痕跡Ⅱ』
    東日本大震災
  花あれど爬羅(はら)のごとくや海鳴りす
  花火師の球の中なるリゴリズム
  コスモスや千の孤独と隣りあふ
  にきはだの雨月の闇のただならず





  弐百十四萬柱(はしら)開戦日     正敏『鉄馬』
              (俳号・鉄馬はオートバイ乗りに由来)
  すうとんと空切り入れし西瓜かな
  辞す人の背に風花のおくりもの
  ビッグバン以前のことや神の旅
  運の字をつきと読ませて冷奴







★閑話休題・・小原古邨展(11月4日まで)・・・


 NHK日曜美術館で観て、本日以外に、行く日がなかったので、急遽、茅ケ崎美術館まで出かけた。テレビ放映後は、日々入場規制をする有様で、美術館としては最高の観覧人数になり3万人を超えたらしい。従って愚生も,小一時間以上美術館の外に並んだ。すぐ近くに平塚らいてうの碑があって、それには、「元始、女性は太陽であった、真正の人であった」と刻まれていた。そういえば美術館のすぐそばには、八木重吉の詩碑もあった。
 茅ヶ崎美術館に展示は、元は美術館が建っている所が実業家の原安三郎で、そのコレクションであった。「小原古邨『木版花鳥画』の魅力」というもの、このほぼ無名の優れた絵師を、無名のままであってはいけない、というのがNHKで放映された内容であって、NHKさまさま・・・いきなり盛況になったのだそうである。

小原古邨(こはら・こそん)石川県金沢市生まれ。1877年7~1945年。

小原古邨版画↑



             平塚らいてう碑↑


八木重吉詩碑↑



2018年11月1日木曜日

佐怒賀正美「新涼や詩書に仕上がる紙ロール」(『無二』)・・

 


 佐怒賀正美第7句集『無二』(ふらんす堂)、帯もなく、実にシンプルな装丁の句集である。著者「あとがき」には、静かなたたずまいの著者にして、志の勁さを思わせる部分を以下に抽いておきたい。

  「いのち」を万物について考えるとき、原発、兵器、環境汚染など、是非ゼロへと収斂させたい。間違っても、他国に売り込みに出かけるなどあってはならない。自分の国を大切にするとは、相手の国の人々をも同じように大切に思うことである。(中略)
 俳句に話を戻すと、私自身は、それらの基本的態度の上に生活し、俳人として自由に文芸的試行をしながら、俳句の世界をさらに開拓していきたい。私自身にとって、俳句は「文学の端くれ」である。私をひきつけてやまないのは、自然や風土の中で育ってきた最短定型詩の、感受性と想像力に満ちた「詩」のあり方であり、虚実鬩ぎ合う現実生活に根ざしながらも、想像、幻想、深層意識なども内包する「総体としての人間」の自由な表現世界の多様性である。
 これからも、奢らず、卑下せず、諦めず、ロマンをもって、俳句における私自身の表現領域を拓いていきたい。

 と記されている。句々は、それらの品格をよく備えていると思う。ともあれ、集中より愚生好みの句をいくつか挙げておきたい。

     父は八十七歳
  誤報出撃せし父にして生身魂      正美
  カレンダー裏の光沢虫すだく
  星芒や砂漠をすべる春の蛇
  望郷第三象限の秋の虹
     宮城県田代岳(箕輪山)
  核ゴミ厳禁葷酒歓待青い山
     放射性ゐてゐ廃棄物最終処理場候補地
  一点之繞(しんねう)二点之繞かたつむり
  (ぬえ)こもる七十年談話敗戦忌
  初空やましら渡りは虚もつかみ
  絡むに幽霊は怨(ゑん)のうぜんは性(さが) 
  褻(け)に拓く中年の詩や梅雨茸
  天の川下りといふにいくうねり
  蟄虫圷戸(ちつちゆうとをふさぐ)虹の欠片は入れてある
  初泣きの赤子に侍る日と月と




★閑話休題・・・・(「句歌」第二・第三集のこと)・・・
 
「句歌」(発行人・保坂成夫)第二号・第三号が送られてきた。内容は、宮入聖の未刊句集『ろくでなし』より「出口なし」64句と65句「砂絵の富士」。保坂成夫は短歌「𩸽」「三毛猫」各25首に加えてエッセイ「貧乏ぶろぐ」が掲載されている。予告には、小海四夏夫最終歌集『一瞥』、限定50部、予価2000円、年内刊行予定とあった。
 いくつかの句と短歌を以下に挙げておきたい。
  
  黒子つけてと稚い雪女らしせがむ    宮入聖
  くる日くる日を流れ藻で通しけり
  風鈴の鳴るころあひも笠智衆
  絶叫性ニッポンニッポン症候群
  
  インスタ映へせぬ私とともに写りたるライラックの木がきのふ伐られし
                                   保坂成夫
  𩸽のひらきも高嶺の花になりたると買はで過ぎ行く下流老人
  愛なんてなくてもいいといふ歌詞に続く決まり文句を憐れむ
  今日は何の日?ジョン・ウエインがロケ地にて被爆し七十二歳で逝きたる日
  


2018年10月31日水曜日

山﨑十生「抱くごとく抱かれる如く草の花」(「WEP俳句通信」106号より)・・・



 「WEP俳句通信」106号(ウエップ)の特集は「わが俳句、先の一歩をどうするか」、坊城俊樹、岸本尚毅、武藤紀子、前北かおる、横澤放川、林桂、鳥居真里子、神田ひろみ、田丸千草、三宅やよい、森須蘭、坪内稔典、西池冬扇の13名が執筆しているが、当然のことながら、具体的な作品を提示することは困難であったろうと推測する。この先の一歩だから、なおである。その中では、坊城俊樹が、論の結びに、

 この無意味性こそが私自身の目指す俳句である。
 棒となり蠅となり虚子銀河へと     俊樹

と、潔く断定してみせている。また、目指すべき志として、岸本尚毅は、

 俳句においても「夏芝浜」が生まれる可能性を信じたいと思う。

と、・・その心は、

 「夏芝浜」は「芝浜」の「正解」ではなく、「変化」を求めを新しみを求める試みなのである。

という。この先に対して、誰もが抽象的ではあるものの前向きなのであるが、林桂は、冷静に自らの置かれてる俳句史的位置づけをできるだけ明らかにし、分析してみせている。  その俳句の現在とは、

  ここで、見ておくべきは、「自己表現」の主題など「欠落」させても、俳句は成立するという「現在」の表現認識であろう。

 と的確である。そして、自らの俳句行為を、時代の一回性を生きる覚悟といい、

 この狭間で書くことに道を拓くことが可能か。「我」の解体を違和感としつつ、「我」の隣人の「我」を探るような道を彷徨ってきた。時に多行形式を援用し、時に「詞書」による「俳句」の場を仮構しつつ、遠くの「我」ではなく、近くに反語的に現れる「我」を「書き」とめようとしてきた。

 と述べ、誠実である。誠実と言えば、おおむね女性の執筆陣は誠実な印象であった。神田ひろみは「私は今日も、飾らない言葉で句を詠んで行くほかはない」といい、森須蘭は「次の私に会うために、俳句を書いているの」、三宅やよいは「ぼんやり思っているのは難しい言葉を使わないこと。驚きがあり、覚えやすい俳句を作りたい」という。鳥居真里子は、これも誠実に「自ら納得できる作品がいまだ皆無であるー。おそらくそんな飢餓感がその作業を支え、突き動かしているのかも知れない」という。
 それらに比べて、坪内稔典は、金子兜太が亡くなるのを待っていたかのように(もっとも若き日の金子兜太批判によって、かの愚生は感銘していたのであるが)、

 (前略)存在者と呼んで兜太を担ぐ俳人などがいたし、その人々に兜太ものっていた。担ぐ人々も担がれる兜太もだめだとおもった。

 と言うが、兜太健在の時にそうした言葉が聞きたかった。かつて愚生は坪内稔典に俳句ゴロと言われたことがあるが、坪内稔典は今ごろ、ゴロを巻いているようだ。そして、結論を以下のように、津田このみ「裸たのし世界よ吾に触れてみよ」と紀本直美「太刀魚のフライ広島のサムライ」の句をあげて、

  このみは一八六八年生まれ。長野県松本市に住む。「裸楽のんし」は季語+思いのパターンだが、「世界よ」という呼びかけの大胆さ、おおらかさがパターンに新しい空気をもたらした。この句の前では橋本多佳子も桂信子も色あせる。
 直美は一九七七年生まれ。フライとサムライの取り合わせが絶妙というか、その音感にわくわくする。なんだか分からない不思議さも残るが、それもまた魅力である。
 〈兜太〉のつまらなさ、それをこのみと直美の句がカバーしているのではないか。

 と述べている。その他、本誌では、その兜太をかついで創刊された雑誌「兜太」(編集主幹・黒田杏子)の編集長を務める筑紫磐井の連載「新しい詩学のはじまり⑯ー伝統的社会性俳句⑨能村登四郎の社会性俳句(2)『合掌部落』」では能村登四郎と金子兜太の社会問題に対する見方の違いを述べて、興味深い。さらに、「豈」同人である北川美美「三橋敏雄『真神』考⑲-配列の検証ー季と無季(後編)」は、愚生と同人仲間の贔屓目であろう、と言われるかも知れないが、いよいよ佳境に差し掛かってきているようだ。
 ともあれ、兜太の弟子で若手の宮崎斗士(1962年生まれ)と同世代小暮陶句郎(1961年生まれ)の句を一句ずつを挙げておこう。

   とんぼという語感そのまま指先に    宮崎斗士
   目の端に君置き郡上踊かな      小暮陶句郎



2018年10月30日火曜日

髙橋龍「御遺体と呼ばれるまでの秋の風」(『人形舎撰句帖』)・・・



 髙橋龍『人形舎撰句帖』(高橋人形舎)は、『高橋村風子句集』『草上船和讃』など、これまでの9句集に、第10句集「病状三尺」を加えた撰句集である。いわば高橋龍のエスキスがつまっている句群である。ますます自在に、ヒューモアに、新句集相当の部分は、題名からして、子規をもじって「病状三尺」である。その扉書には、

  平成二十六年十月腹部大動脈瘤手術
  平成三十年七月再手術
  平成二十八年十二月肺気腫
           酸素吸入器使用

 とある。しかし、何と言っても、無念極まりなく、愚生を嘆き驚かしたのは、次の句に出会った時である。

     悼・寺田澄史
  時代(ときよ)・現在謐(いましづ)かに酓(つめ)る鞶(かはぶくろ)

「むすび」には、「平成三十年三月三十日、寺田澄史さんが肺炎で死去された。寺田さんにはほとんどの句集の造本計画、イラスト、口絵などを細部に至るまで御気遣いをかたじけなくしていただいた。謹んで御冥福をお祈り申し上げる」とあったからだ。
 革職人でもあった寺田澄史は、髙柳重信の一部限定特装本を自ら手造りしていた。その昔、愚生が20代の初め、髙柳重信に会っていた頃、「今、学ぶんだったら、折笠美秋や寺田澄史だな・・・」と言われたことを思い出す。また、しばらくして分かったことだが、「豈」の表紙絵をいただいている故・風倉匠とも交流があった人だった。ともあれ、集中よりいくつかの句を挙げておきたい。

  伝言板師走ある日のわが名書かれ     高橋村風子句集(1981年)
  河灼けて曲る八月十五日       続・高橋村風子句集(1990年)
  提燈の真上さびしく明るけれ         草上船和讃(1974年) 
  一対の1/2はわれである           翡翠言葉(1980年)
  死後に立つ浮名はよけれ桜鯛            悪對(1992年)
  十二月八日の朝の霜柱           平成月次句集(1994年)
  校庭はダリアグラジオラスカンナ          病謀(1997年)
        戦地より墓地にかへるや冬の月          後南朝(2001年)
  オルガンのオルガニズムは綻(やぶ)れたり     異論(2010年)
  六月や全学連は死語ならん           病状三尺(2018年)     
  運命愛(アモールファティ)はニーチェの言葉茂吉の忌  〃
  八月や言へぬ原爆ドームの美              〃
  ベルリンの壁の隙間の帰り花              〃
  濁音のエロ/中心(はまぐり)と周縁(さんかくす)   〃
   ズ(・)ロース、ブ(・)ルマー、そのゴ(・)ム紐の跡、ビ(・)キニ
   (「バ(・)イブ(・)ル」も)/蛤は女性器、三角州は言ふに及ばず。

 これらの作品は15歳から80余歳まで、若い時の句は意気込みが恥ずかしく除外した句も多いという。

 ・寺田澄史(てらだ・きよし)。われわれは、(ちょうし)と呼んでいた。新潟県水原生まれ。1931年7月14日~2018年3月30日)。
 ・髙橋龍(たかはし・りゅう)1929年5月、千葉県生まれ。




★閑話休題・・・「自由律俳句協会が発足」↑・・・

 去る10月6日(土)、江東区芭蕉記念館に於て「自由律俳句協会」(会長・佐瀬広隆)が設立された。
 先年「自由律句のひろば」が解散して、いわゆる自由律俳句陣営の結集軸がなくなっていたが、よく創建に至ったと思う。その設立趣旨は「自由律俳句協会ニュースレター」によると以下のように記されている。

 ○開かれた組織につとめる。
 ○異論は、排除せず異論として尊重し、両輪を維持、一致したところで決定する。
 ○結社と協会、グループ、及び個人は競合するのではなく、協会はサポートの立場貫 き、できる支援を提供する実務部隊。
 ○「協会」が長く続くこと。
 ○各部から、この一年の活動を提案(総会で報告後承認)。それに従って実行委員会形式で実行する。

 とあった。当面、文学フリーマーケット(11月25日・東京流通センター第二会場)、防府市・山頭火ふるさと館の第一回自由律俳句大会(投句締め切り・12月31日)、第二回尾崎放哉賞(投句締め切り・11月30日)、第21回自由律俳句フォーラム(11月23日・芭蕉記念館別館)、木村緑平顕彰会「雀のことまで気にして貧乏している 緑平」の活動などの予定があるという。詳しくは自由律俳句協会ホームページをご覧あれ。
  

2018年10月29日月曜日

渡辺喬子「海からも山からも風墓洗ふ」(第54回府中市芸術文化祭俳句大会)・・・


           講評する大久保白村↑

 昨日10月28日(日)は、童謡100年記念事業/第54回府中市芸術文化祭俳句大会(於:府中市民活動センター「プラッツ」)・府中市俳句連盟(会長・笹木弘)だった。主選者は大久保白村。特別選者で出席したのは、松川洋酔・倉本俱子と愚生。当日句会の席題「松手入」と「秋簾」。愚生は、隣りに座られた旧知の松川洋酔の次の句を特選にいただいていた。

   青空を引き寄せ松の手入れ済む    松川洋酔


大久保白村の当日の句は、

  仕舞ふのが面倒なだけ秋簾      大久保白村

  

 何気ない光景ながら味わいのある句だった。主選者の大久保白村は大先輩であり、「ホトトギス」の重鎮である。父も俳人で橙青を名乗る初代海上保安庁長官、衆議院議員・大久保武雄である。著書に『海鳴りの日々ーかくされた戦後史の断層』『原爆の証言』(今年英訳付きで再販された)などがある。
 当の大久保白村は1930年東京生まれで、今は俳句をユネスコの世界文化遺産に登録するというので、お忙しいらしい。キーワードは「俳句」、俳句で平和に貢献するということだという。中曽根元首相も俳句をやっていたので、金子兜太、有馬老人、宮坂静生、鷹羽狩行など各俳人団体とともにその名があったように記憶している。

 ともあれ、以下に兼題の部の句を紹介しておこう。

 市内の部一位 海からも山からも風墓洗ふ     渡辺喬子
     二位 手花火の後ろの闇が膨らめり    笹木 弘
     三位 新涼や独り将棋の駒の音      青柳 惠

 市外の部一位 門灯を消した虫たちに返す闇    小野富美子
     二位 西瓜切るところと言はれ上がり込む 新保徳泰
     三位 工房の木屑匂へる今朝の秋     吉沢美佐枝
     7位 ポケットの木の実を握る喪の帰り   山中とみ子
     8位 白南風や軍艦島に湯屋の跡      鍬守裕子
     9位 いとど跳ぶオール電化の台所     倉本俱子
    10位 万年筆の字の太りたる敬老日     髙橋小花
    11位 ほうずきの中まで染めてくる夕日   中山遊香
    12位 水明りして一木の紅葉かな      林冨美子
    13位 遠花火それより遠く父母眠る     青木一夫
    14位 放ちやる落蟬声を手に残し      日吉怜子
    15位 水澄むや銘菓のやうな石拾ふ     松代展枝  

 因みに愚生の「兼題」特選の三句は以下である。

        一礼に返す一礼天高し      村田のぼる
        黙禱のときを尽して蟬しぐれ    保坂末子
        西瓜切るところと言はれ上がり込む 新保徳泰