髙橋龍『人形舎撰句帖』(高橋人形舎)は、『高橋村風子句集』『草上船和讃』など、これまでの9句集に、第10句集「病状三尺」を加えた撰句集である。いわば高橋龍のエスキスがつまっている句群である。ますます自在に、ヒューモアに、新句集相当の部分は、題名からして、子規をもじって「病状三尺」である。その扉書には、
平成二十六年十月腹部大動脈瘤手術
平成三十年七月再手術
平成二十八年十二月肺気腫
酸素吸入器使用
とある。しかし、何と言っても、無念極まりなく、愚生を嘆き驚かしたのは、次の句に出会った時である。
悼・寺田澄史
時代(ときよ)・現在謐(いましづ)かに酓(つめ)る鞶(かはぶくろ)
「むすび」には、「平成三十年三月三十日、寺田澄史さんが肺炎で死去された。寺田さんにはほとんどの句集の造本計画、イラスト、口絵などを細部に至るまで御気遣いをかたじけなくしていただいた。謹んで御冥福をお祈り申し上げる」とあったからだ。
革職人でもあった寺田澄史は、髙柳重信の一部限定特装本を自ら手造りしていた。その昔、愚生が20代の初め、髙柳重信に会っていた頃、「今、学ぶんだったら、折笠美秋や寺田澄史だな・・・」と言われたことを思い出す。また、しばらくして分かったことだが、「豈」の表紙絵をいただいている故・風倉匠とも交流があった人だった。ともあれ、集中よりいくつかの句を挙げておきたい。
伝言板師走ある日のわが名書かれ 高橋村風子句集(1981年)
河灼けて曲る八月十五日 続・高橋村風子句集(1990年)
提燈の真上さびしく明るけれ 草上船和讃(1974年)
一対の1/2はわれである 翡翠言葉(1980年)
死後に立つ浮名はよけれ桜鯛 悪對(1992年)
十二月八日の朝の霜柱 平成月次句集(1994年)
校庭はダリアグラジオラスカンナ 病謀(1997年)
戦地より墓地にかへるや冬の月 後南朝(2001年)
オルガンのオルガニズムは綻(やぶ)れたり 異論(2010年)
六月や全学連は死語ならん 病状三尺(2018年)
運命愛(アモールファティ)はニーチェの言葉茂吉の忌 〃
八月や言へぬ原爆ドームの美 〃
ベルリンの壁の隙間の帰り花 〃
濁音のエロ/中心(はまぐり)と周縁(さんかくす) 〃
ズ(・)ロース、ブ(・)ルマー、そのゴ(・)ム紐の跡、ビ(・)キニ
(「バ(・)イブ(・)ル」も)/蛤は女性器、三角州は言ふに及ばず。
これらの作品は15歳から80余歳まで、若い時の句は意気込みが恥ずかしく除外した句も多いという。
・寺田澄史(てらだ・きよし)。われわれは、(ちょうし)と呼んでいた。新潟県水原生まれ。1931年7月14日~2018年3月30日)。
・髙橋龍(たかはし・りゅう)1929年5月、千葉県生まれ。
去る10月6日(土)、江東区芭蕉記念館に於て「自由律俳句協会」(会長・佐瀬広隆)が設立された。
先年「自由律句のひろば」が解散して、いわゆる自由律俳句陣営の結集軸がなくなっていたが、よく創建に至ったと思う。その設立趣旨は「自由律俳句協会ニュースレター」によると以下のように記されている。
○開かれた組織につとめる。
○異論は、排除せず異論として尊重し、両輪を維持、一致したところで決定する。
○結社と協会、グループ、及び個人は競合するのではなく、協会はサポートの立場貫 き、できる支援を提供する実務部隊。
○「協会」が長く続くこと。
○各部から、この一年の活動を提案(総会で報告後承認)。それに従って実行委員会形式で実行する。
とあった。当面、文学フリーマーケット(11月25日・東京流通センター第二会場)、防府市・山頭火ふるさと館の第一回自由律俳句大会(投句締め切り・12月31日)、第二回尾崎放哉賞(投句締め切り・11月30日)、第21回自由律俳句フォーラム(11月23日・芭蕉記念館別館)、木村緑平顕彰会「雀のことまで気にして貧乏している 緑平」の活動などの予定があるという。詳しくは自由律俳句協会ホームページをご覧あれ。
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