2018年10月12日金曜日

田中惣一郎「はねマリオとぶ春愁の三次元」(「里」第187号)・・


 「里」2018年10月号(里俳句会)の特集は「『しばかぶれ』第二集という森の賑わいに耳を澄ます」。読後感を藤原龍一郎と中岡毅雄が寄せている。また、一人一句鑑賞では10名が寄稿しているが、ここでは、愚生と同じ「豈」同人の高山れおなの評(田中惣一郎句評)を少し以下に引用しておこう。

      とちぐるう狂(ぐるう)やあそぶしんぼち 可徳「やつこはいかい」
  分煙(ぶんげむ)る青葉(あおば)わかばのいのちかえ  惣一郎

 (前略)「分煙(ぶんげむ)る」の造語は無縁の輩にはほとんど無縁の妙味ならん。実際、当方の勤め先の喫煙所はこんな感じ。今日も行(いつ)たが、都立中央図書館も喫煙所も有栖川公園の昼猶暗き片隅に置(おかれ)てこんな感じ。屋内の喫煙所は私も勘弁願ひたい。「青葉(あをば)わかばのいのちかえ」は真(まこと)や会心のリアリズムであるのなり。拳々服膺愛吟すべし。

 特集記事ではないが、面白かったのは、愚生とはまったく接点のないことなので、青山ゆりえ「『やりやすさ』の難しさ」(現代俳句鳥瞰第三回)である。以下・・

 (前略)俳句との向き合い方の多様化もその一つの例だ。たとえば、「俳人戦士タサクタシャ―烈風」という試みがある。いわゆる戦隊ものヒーローに扮した学生俳人が、SNS上で仲間の俳句を鑑賞するコンテンツだ。その中心にいる風見奨真くんは現在武蔵野美術大学の二年生。「タサクタシャ―」という名前は語呂のよさを借りただけで意味づけはないと言う。しかし、ぱっと口に上る口当たりのいい言葉になっているくらいには、「多作多捨」は若い俳人にとってのひとつの指標となっているようだ。多作多捨の前後には「多読」がある。

 とあって、愚生などには想像もできない平和なゲームが繰り返されている光景は、これも時間が有り余る若者の特権のようなものかもしれない、と、ふと羨ましく思った。
 青山ゆりえの「しばかぶれ」の一人一句鑑賞の句は、

   頂点で黙るてんたうならば飛ぶ   ゆりえ

 鑑賞者は三木基史だった。愚生が「一人二句選」から選んだ句は、

  表象の麦を愛して赤い羽根    青山ゆりえ

 である。この句の方がより魅力的だ。もちろん、愚生に三木基史ほどに対象の句が読めているわけではないが・・・。




☆閑話休題・・・

 「古志」青年部作品集2018(第7号)(古志社)から、30歳代の一人一句を以下に挙げおこう。
  
   眠る山起こさぬやうに嫁にゆく    石塚直子
   施餓鬼棚竹の柱は天に伸び      内藤 廉
   虹の上を滑りゆくもの皆淡し     西村麒麟
   真羽より落つる血を吸ふ牡丹かな  前田茉莉子
   




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