2018年10月24日水曜日
味元昭次「戦後通し戦前近し夕端居」(「現代俳句」10月号)・・
「現代俳句」平成28年10月号(現代俳句協会)の主要な記事は、第40回現代俳句講座・岸本尚毅「季語について」と第36回現代俳句評論賞選考経過である。岸本尚毅の講演録は「季語について」の柔軟な思考と分析を、実に分かりやすく話し、「無季俳句と季節の関係」という点でも、富澤赤黄男の句を例にしながら丁寧な説明がなされている。また現代俳句評論賞は、授賞者なしとなったが、各選考委員の批評に向き合う姿勢の違いもあって、応募者に圧倒的な説得力のある論でないと、ひとつにしぼるのが困難という、現在の多様化する価値観と事態を反映している、とも思えた。ともあれ、以下に、特別作品から一人一句を挙げておこう。
人がみな鈍器となりて征く砂丘 江里昭彦
無器用に変へぬ軸足雲雀東風 加藤ひろみ
ふり向くや一木は修羅雪の樅 小泉飛鳥雄
地には祖初雪残雪白鳥百 辻脇系一
海鳴りの冥みに招く百合の花 鶴岡しげを
源流の木霊は滝を養へり 永井 潮
亡き父に言ひつけてゐる生身魂 原田要三
四国にも原子炉三つ羽抜鶏 味元昭次
★閑話休題・・・豊里友行写真集『遺骨が呼んでいる』・・・
豊里友行写真集『遺骨が呼んでいるー国吉勇さんの遺骨収集人生』(沖縄書房・税別1000円)、序は平良次子(南風原文化センター)「夢中になって『遺骨』と『戦争遺品』に向き合う」。それには、
国吉さんの手によって、土の中や水の中から掘り出された遺骨や遺品は、きっと何か大切なことを語り、あるいは、叫んでいるに違いない。これら膨大な戦争語り部たちを、さてどうするか。その続きがなければ国吉さんの仕事は姿を消してしまう。いや国吉さんの姿は、豊里さんがこのように写真集で残して下さった。問題は「遺品」たちである。それが活かされる、しかるべきところにきちんと存在させることを、私たちが役割分担として考えるときに来ているのかもしれない。
と結びに記されていた。豊里友行の「あとがき」には、
国吉勇さんは、沖縄戦犠牲者の遺骨遺留品の収集活動を約六十年あまり続けてきた人物である。一九三九年生まれの七十九歳。旧・真和志村に生まれ、六歳で沖縄戦を体験した。沖縄戦で祖母、母、三男、弟(当時一歳)、姪っ子(当時一歳)の五人を亡くす。(中略)
私は自身に尋ねる。なにゆえに沖縄戦の遺骨たちを撮影するのか。こちらを見つめる頭蓋骨の眼窩(がんか)に私は歴史の残酷さを見て身震いする。国吉さんが遺骨収集をしながら見つめてきた人骨、遺留品をいま、私もまた見つめている。それは一人の名もない戦没者の死を見つめる作業でもあった。
と言う。下に掲げる写真は、本書の最後のページのもので以下のように記されている。豊里友行の言うように、まさに「戦後七十三年は、死者たちの終らない戦後でもあった」のだ。
↑浦添沢岻陣地壕で2013年1月15日に収集された「名前のある万年筆の遺品」(P74-P75に掲載)のご遺族を探しています。お心あたりのある方は、小社・沖縄書房までご連絡下さい。
その彫られている名は「志村金太郎」と読める(愚生注*P75には2018年とある)。
豊里友行(とよざと・ともゆき) 1976年沖縄県生まれ、写真家にして俳人。
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