2018年10月9日火曜日

川島葵「これまでもこれからもなく泳ぎゐる」(『ささら水』)・・



 川島葵句集『ささら水』(ふらんす堂)、集名に因む句は、

   ささら水雀隠れにを分けにけり     葵

 である。最近の句集にしては珍しく、短い「あとがき」のなかには、

  (前略)人の喜怒哀楽と無関係に在りながら、季語に重心を置いても、気持ちは救われる。季節がいつも頬をかすめている。

 とある。意外にオノマトペを多用する俳人である。例えば、

   きらきらと車の走る青田かな
   きらきらと朝の風や雲の狩
   手のひらのさらさらとして新学期
   ぽかぽかとなやらひの昼来てをりぬ
   ぎらぎらと鮎解禁の水分かれ
   町川のたぷんたぷんと盆休暇
   よぼよぼの猫置いて来て野に遊ぶ

 の句が目に留まる。ともあれ、他のいくつかの句を以下に挙げておこう。

  ふらここを押してもらひて怒りだす
  新蕎麦に肘のぶつかる深大寺
  むぎあきのわが子のやうな見知らぬ子
  末枯れを歩き過ぎたる夢見かな
  青麦の丈のまぶしくなりてをり

川島葵(かわしま・あおい) 昭和34年、東京生まれ。





☆閑話休題・・・

 伊丹三樹彦『俳縁写縁の友垣』(青群俳句会)、若き日のものが多いが、本書の表紙の写真は、一列目中央に伊丹三樹彦、右隣が楠本憲吉、左隣りは大中祥生、愚生が中学生?高校生?の頃、毎日新聞の地方版「防長俳壇」の選者が大中青塔子(祥生)だった。ビギナーズラックで入選した。それが愚生の慰藉としての句作(今は違うが・・)の始まりであった。そうそう、思い出したことがある。このブログ「日日彼是」に、時折り、写真を送ってくれている葛城綾呂は、高校生のときから、正真証銘の大中青塔子(祥生)に期待された弟子であったらしい。

   兜太とは句友で 共に軍歴も   三樹彦

 の句の通り、兜太とは同年兵で、一度病に倒れた三樹彦の方が生きのこった。三樹彦は「ぼくには人が財産」といつも言っていたが、本写真集も懐かしい顔ぶれがそろう。めでたき白寿である。

  いざ生きん シャッターを切る音今

伊丹三樹彦(いたみ・みこきひこ) 1920年兵庫県伊丹市生まれ、三木市で育つ。




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