「海原」NO.2(海原発行所)、追悼・相原左義長。安西篤「地金で生き抜く」に、
四国俳壇の重鎮で、愛媛県俳句協会会長、俳誌「虎杖」代表、海程愛媛支部長でもあった相原左義長さんが本年七月十九日に亡くなられた。享年九十二。
兜太先生は生前、同世代の地方俳壇の雄として、福井の吉田透思朗、愛媛の相原左義長両氏を双璧と称しておられた。透思朗さんは二年前に亡くなり、今また左義長さんを失って、地方俳壇にも一つの時代の終りが来たと思わざるを得ない。
とあった。愚生は40歳代の頃、現俳協青年部に居た。その頃、愚生の句集の中から30句を選んで、自身の結社誌「虎杖」に紹介して下さった。恩のある人である。海程の地方支部には、いわば金子兜太によく似通った人物がいた(親分の風貌をもっていた)。九州の穴井太もそうだった。左義長後継者の松本勇二も青年部の有望な俳人だった。福井の吉田透思朗の後継者の中内亮玄からは以下のような案内チラシが届いた。こちらも有望な俳人である。「俳諧旅団『月鳴』」を主宰するとあった。
「海原」NO.2より、いくつかの句を挙げておこう。最後に挙げる2名は、愚生が出席している「遊句会」の仲間であり、「海原」の仲間だ。
かつて母水飲む涼しき眼を吾に 相原左義長
兵馬俑燕に触れし青き天馬 〃
紀音夫忌のくちびるの傷乾くなり 安西 篤
かたつむり飢えたる国の方を向く 武田伸一
口に含む針の冷たさ六月は 大西健司
仏壇を照らして閉じて冷蔵庫 小野裕三
つぶやきをぬりつぶしゆく燕子花 こしのゆみこ
木の芽わあわあしかも狐も蠢いて 十河宣洋
宙吊りの死あり 馬の脚形あり 瀧 春樹
ほととぎす風の奈落に歩をすすめ 月野ぽぽな
朴咲くや天の真水の天に消ゆ 水野真由美
月見草亡き人に「拝啓」と書く 宮﨑斗士
百年で一億が逝き蚊帳の国 柳生正名
湿りたる百合の花びらこそ情緒 たなべきよみ
福島の桃よ怒りの袋掛 武藤 幹
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