2018年10月5日金曜日
日下野由季「澄む水と揺れをひとつにしてゐたり」(『馥郁』)・・
日下野由季第二句集『馥郁』(ふらんす堂)、愛情深い栞文は大木あまり。その結びには、
実りある三十代の句集『馥郁』のどのページをめくっても、透明な句に出会うことができる。作者の俳句への情熱が伝わってくる。
祝
伝言のごと心音や水澄めり あまり
とある。そういえば、かつて、愚息の卒業した小金井市立第一中学校の校歌の作詞は、大木あまりの父にして詩人の大木敦夫だった。
不二(ふじ)が嶺(ね)の み雪(ゆき)は浄(きよ)し
きよしや わが学(まな)び舎(や)
誠(まこと)をぞ つらぬくものに
あこがれはあり
智恵(ちえ)をくみ 研(きわ)めあひ
青空(あおぞら)のかがよひに こたへばや
と、なかなか格調高いものだった。話を元にもどすと、句集名に因む句は、
馥郁と春の鷗となりにけり 由季
である。同じ鷗、と言っても巻尾前の、
冬鷗ゆくいまの空いまの青
の句の方が、どちらかと言えば、愚生の好みである。ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておきたい。
活けられて風を通しぬ草の花
まだ色をみせざる海や春ショール
香水のもう身に添はぬ香なりけり
大空を来て水鳥となりにけり
父の日の父に実の成る木を託す
一秒で来たる返信秋澄めり
悼・澤田和弥
蟻走る享年三十四と墓
遊ぶ子の中に泣く子や実南天
かの人と見たる桜を見てゐたり
日下野由季(ひがの・ゆき) 1977年、東京都生まれ。
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