2014年11月27日木曜日

中島敏之『俳句の20世紀を散歩する』・・・



本著(鬣の会刊)の解説で林桂は以下のように言う。

二十世紀は、その若い定型詩俳句の春秋に富む道行きの世紀であった。その短い不安定さをエネルギーに変え、展開し続けることでようやく表現形式となり得るような冒険的存在だったろう。表現の可能性を証明されて呼び出されたのではなく、可能性に賭けて呼び出された俳句形式の二十世紀は、試行錯誤の展開力が支えていたのだろう。そのダイナミズムは、「俳句史」にとって最も輝かしい季節となるのかも知れない。中島の『俳句の二十世紀を散歩する』は、そんなことを思わせるわくわく感がある。

本書全体は年代を区切って五章にまとめられている。愚生が同時代として、ともに歩んだ著書の章は、ほぼ「Ⅲ 1966(昭和41年)~1974(昭和49)」、「Ⅳ 1975(昭和50年)~1984(昭和50年)」、「Ⅴ 1985(昭和60年)~1996(平成8年)」である。従ってここでは、蔵書の趣味のない愚生でも、整理の網をかいくぐって棚に眠っている本も多くある。Ⅲ章の冒頭の「戦後はどう詠まれたか(楠本憲吉『戦後の俳句』」(社会思想社)は今でもことあるごとに引き出してもいる。

中島敏之は書名を「・・・・散歩する」と逍遥しているかのように韜晦させているが、それぞれの書の紹介のタイトル、例えば、Ⅰ章の「花鳥諷詠を愛し、美の結晶を十七文字で描く(『川端茅舎句集』」、「永遠の新しい俳句『白い夏野』高屋窓秋」、「俳句を詩的表現として根源的に論究(『過渡の詩』坪内稔典)」等々、各書に付されたタイトルを通覧するだけでも、自ずと俳句史をたどることになるのである。その見識に中島敏之の俳句に対する愛情が感じられる。
同人誌「鬣」に連載されていた折から、楽しみな読み物だったが、一本にまとめられて、なお一層中島敏之の厚みに触れることができた。
その中島敏之が「俳句との真の出会い。私はこの本だった」というのは『郷愁の詩人與謝蕪村』(第一書房)だという。その結語に、

 つまり芭蕉だけでなく、蕪村もいる。俳句は楕円のように二つの焦点をもつものになった。俳句がポエジーの器としても発見された。俳句がまた新しくなったのだ。 

と記している。本書に納められたのは50編、今後も「鬣」連載は続くようだから、まだ楽しみは続く。

カリン↑

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