2014年11月25日火曜日

辻のまねはできない―



今日はダダイスト辻潤の忌日だ。1944年11月24日に上落合のアパートで死んでいるところを発見された。今でいえば孤独死ということになろうか。それも餓死であったと伝えられている。享年60。
辻のまねはできないーこれがある時代の青年の彼に向ける軽蔑であり、讃仰であったのである」と述べたのは『ニヒルとテロル』(川島書店)の秋山清だ。その秋山清は、

    迷つて来たまんまの犬でゐる      芳哉
    雀等いちどにいんでしまつた

の句をあげて、「すでに芳哉は人間世界をニヒルしていた」と言う。
理屈はどうあれ、一時期愚生が辻潤を好きだと思っていたのは、ある本で、辻潤は冷奴が大好きだったと書かれてあったからだ。愚生は今でも冷奴が大好きで、真冬であろうと豆腐は冷奴でなければならない、と思っているほどである。豆腐尽くしの食事だったら文句は言わない(フランス料理のコースよりはるかにいい)。
そういえば、かつて今は無きコーベッブックスで永田耕衣や加藤郁乎などの見事な造本を手掛けていた渡辺一考が、神戸から上京して「ですぺら」という店をやっていると聞いていたが訪ねていない。愚生が、確か新陰流兵法転会(まろばしかい)の合宿で奈良に行った帰路にK氏と一緒に神戸の自宅を訪ね、その折り、今一番いい俳人は三橋敏雄だと語ってくれたのが渡辺一考だった。
想い出ついでに言っておくと秋山清の子息・秋山雁太郎に最初に会ったのは彼が教育社闘争を闘っていたとき(現在もなお闘争中であろうと思っているのだが)、愚生の働いていた弘栄堂書店労組結成直後に三多摩地域での労働運動に加わるようにオルグに来たことによる。もう40年前のことだ。
そして、ごく最近まで「辻潤研究」の雑誌をだしていた京大俳句会の大月健が亡くなった。


                                                   枯れハス↑

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