2015年9月4日金曜日

石田郷子「白髪を連ねてゆきぬ草の王」(『草の王』)・・・



 石田郷子句集『草の王』(ふらんす堂)、ちょっと菊地信義をおもわせるような装丁・・・しかし、帯に配された文字使いが違うと思ったが、なかなか良い。
石田郷子の名を最初に認めたころ、愚生は、石田波郷の係累に属している俳人なのかと思っていた。もちろん、今は、そうではないらしいことはわかっている。先日のクプラス謹製の「平成二十六年俳諧國之概略」の図には「等身大派」の領袖のような扱いでその名は大きく書かれている。本集の句を眺めると、確かにそのような印象もあるが、清潔感がある。等身大ということは、その人の人格そのものが句に大いに反映するということだろうから、自らを律する高貴さが求められ、かつその向上のために心身を修行せしめねばならないような気がして、愚生のようないい加減の者には、端からあきらめるほかなさそうだ。
 ところで、これも不確かな記憶でいうのだが、かつて高柳重信が林田紀音夫の句を評して「等身大の句」と言ったように思う。半分は褒め言葉だが、残りはその俳人の身の丈以上の俳句の世界は創造できないということだったように思った。
 いずれにしても「俳句をやるほど君は不幸なのか?」と問いかけた重信だった。そうであるならば、石田郷子の句の世界にだってそれが宿っているのかもしれない、と思えば、それは、たぶん逆説としての清潔感になるだろう。
 ともあれ、愚生好みにしかならないが、いくつかの句を挙げておきたい。

    燃えてゐる黒と思へり冬林檎         郷子
    揺れはじめ揺れをさめたる蕎麦の花
    打水にくるりとのりぬ鳥の羽
    つぎつぎに時雨忌の傘たたみ入る
    大杉を恃みぬ人も寒禽も
    杉山の暗きに花の吹雪をり
    柴栗のひろびろ落ちてなぞへ畑
    凩や古布に棲む蝶や鳥
    狼のたどる稜線かもしれぬ




                                               ルコウソウ↑

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