2016年4月17日日曜日

福島泰樹「絶望の詩型であらば花ならば絶巓(ぜってん)、虹の蒼い向日葵」(『追憶の風景』)・・



去る4月8日、如水会館で行われた福島泰樹『追憶の風景』(晶文社)出版記念会に出席するつもりでいた愚生は、私的な事情でついに断念せざるを得なかった。かつて、福島泰樹には愚生の句集『風の銀漢』(書肆山田)の解説を清水哲男ととも書いてもらったばかりではなく、愚生唯一の出版記念会をした『本屋戦国記』(北宋社)では、ねじめ正一の朗読とともに短歌絶叫で餞してもらった恩義がある。
本書は東京/中日新聞に2012年1月~2014年1月に連載されたものに新たに4編を書き加えた「戦後70人、108人の死者への追憶」であるという。執筆順とあるから、未発表の最後は辻井喬への「流血に汚れしシャツは脱がんとも掌はひとくれの塩のごとしよ」である。その追憶の108人の中には、少ないながら愚生にとっても面識のあった思い出深い人が幾人かはいる。掲載順に挙げれば、吉本隆明、清水昶、中上健次、加藤郁乎、高柳重信、村上護、埴谷雄高、冨士田元彦、辻井喬。とはいえ、加藤郁乎と高柳重信ほどには濃い関わりだったとは言えない。
それは、さておき、本書において、胸を撃たれたのは平田多嘉子、福島道江、橘正子など、福島泰樹の血縁につながる人々のことだった。例えば、

   焼跡に草は茂りて鉄カブト、雨水に煙る青き世の涯(はて)            泰樹

 小母さんには和紙を綴じ毛筆で清書した四巻の私家版句集がある。
  
    ロール紙を積みしトラック多喜二の忌

 これが、関東大震災を五歳で体験し、戦中、戦後を生きた平田多嘉子の曇りない現実認識の眼だ。どんなに書き殴ったって、書き足りない、トラック満載のロール紙分の怒りと悲しみ。それをさりげなく小林多喜二に歌わせているのだ。

 他に、

   マラソンの列にゆづりし春の坂          多嘉子
   ギリシャ劇見し目に青き冬の星
   原爆忌顔を包みて草毟(むし)
   開戦日軍手でドアのノブ磨く
 
などの句が引用されている。
福島泰樹の短歌には、若き日、藤原月彦(龍一郎)と涙なくしては読めないと言い合ったことがあるが、散文もまたそうした抒情に溢れている。怒りと悲しみ。
ブログタイトルの短歌は高柳重信のページのもの。



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