2017年9月12日火曜日

吉村毬子「剥落の千手たはむる曼珠沙華」(「LOTUS」第36号)・・



酒巻英一郎より訃報がもたらされた。
吉村毬子、享年55。若すぎる衰弱死。去る7月19日のことだという。最近発行された「LOTUS(ろーたす)」第36号には、作品と連載評論「エロティシズムのかたち(七)『朝』における生死の見性」が掲載されており、健在だとばかり思っていたから、にわかには信じられなかった。彼女は中村苑子論を書くこと、俳句を書くことがある限り死なない、とも言っていたからだ。
その最後の評論となった稿に、髙柳重信の、

  まなこ荒れ
  たちまち
  朝の
  終わりかな    重信   

の句を引用したのち、次のように書きつけていた。

  飲食や朝の蟬から頭が腐る     三橋鷹女
  胎内に朝の木は在り憂かりけり   中村苑子
  草の露吸うてすげなき朝なりけり 沼尻巳津子
  水中に棒立つはながきながき朝 津沢マサ子

(中略)「俳句評論」の女流達の「朝」の嘆きである。鷹女句は最終句集『橅』集中のものだが、前句集『羊歯地獄』の〈泣き急ぐは死に急ぐこと樹の蟬よ〉を受ければ我が身に侵食してきた死の予感を独特の口調で表出していると思われる。苑子の朝は心象風景であっても曖昧にせぬ語り口で女故の幽愁を表現し、巳津子句も「すげなき」と嫋やかな中に女の直情を込めている。マサ子句の覚醒の際の浮遊はリアリティを強要させない不思議さに誘われる。いずれも夜の闇から救済された朝の景とは言えないが、切磋琢磨する女流達を照らした月光は新しい光となって彼女らに降り注がれたのである。

 三年ほど前、『手毬唄』(文學の森)を上梓し、その評判も良かっただけに無念の思いが深い。
ただ、今は冥福を祈るしかない。
以下に「LOTUS」第36号に発表された「不二五光」20句の中からいくつかを挙げておこう。

  雛の闇より吃音の自鳴琴    毬子
  春満月欄間を抜ける魂の数
  虚空像のうつつの不二の裏表
  蓮池に筥迫落とす五光かな
  枇杷たわわ琥珀を廻(めぐ)る蝶の腸
  天窓の穴に喃語の菫咲く




  


1 件のコメント:

  1. ロータスはどのような経路で購入できますか?まりこさんの句を読んでみたいです。

    返信削除