2019年3月25日月曜日

横山白虹「よろけやみあの世の螢手にともす」(「俳句界」4月号より)・・・



「俳句界」4月号(文學の森)の特集は横山白虹。このところの総合誌の個人特集では出色だと思う。先般、刊行された現代俳句協会青年部編『新興俳句アンソロジー』(ふらんす堂)では、田中亜美が、

 横山白虹は、つくづく「新しい」俳人である。

と称していた。また、山口誓子は「横山白虹は、それ自身一つの風景である」と言ったという。
 特集の内容は、アルバム、略年譜、50句選は中村和弘。エッセイ「白虹を語る」は、寺井谷子「感謝状」、横山哲夫「父白虹・師白虹・俳人白虹」、宇多喜代子「横山白虹第一句集『海堡』再読」、村田喜代子「横山白虹師の『青』」、島村正『横山白虹は一つの風景」。句の鑑賞に三村純也、今井聖、久保純夫、鳥居真里子、土肥あき子、前北かおる、中岡毅雄、神野紗希などの人選も悪くない。とりわけ、エッセイはいずれも読ませるものばかりだった。例えば、寺井谷子は結びに、

   錦木の仙骨となり父を愛す      谷子

 没後数年経って書けた句。
 慈しまれた記憶を何よりの宝として、「俳句」の道を歩む娘からの感謝状である。

 と、また、谷子の兄の横山哲夫は、

 世の中、氏と仰ぐに足る人とは、専門の力が尊敬できる上に人格が自ずと人に慕われる人物でなければならないが、私にとって白虹は父であり、かつ唯一無二の人生の師であり、また俳句の師であったのである。

 と記している。一句鑑賞では、鳥居真里子が「よろけやみあの世の螢手にともす」を挙げていて、その「よろけやみ」に、「闇」と「病み」をかけて読んでいたのは印象的であった。さらに「よろけやみ」の句について、宇多喜代子は、「よろけやみくらきにをりぬ夜の秋」を挙げて、

 「よろけやみ」ということばは、辞書にはない。「炭抗にて肺結核に侵されたるものをよろけやみといふ」とのこと、医師でもあった横山白虹が快癒の望みのない「よろけ」患者を見ている冷静にして切ない目である。

 と述べ、鳥居真里子は、

 この作品の優れているところは、時代がもたらした社会問題を示唆しながらも詩的な世界を構築していることである。言葉のひとつひとつが飛礫のように皮膚にあたり砕け散る感触に襲われる。

 と述べているが、新興俳句の新興俳句たるゆえんは、もちろん、俳句形式にあらゆる詩的可能性を追求したことにもあるが、高屋窓秋や三橋敏雄が最後まで社会的な、いや人類への眼差しを切ることなく、その予見性をも俳句型式にとどめとようとした姿勢のことでもあろう。
  
 ともあれ、他にいくつかの句を挙げておきたい。

  雪霏々と舷梯のぼりゆく昇降機     白虹
  ラガー等のそのかちうたのみじかけれ
  アドルムを三鬼にわかつ寒夜かな
    ニコは娘谷子の愛称なり
  ニコよ!青い木賊をまだ採るのか
  炭坑(やま)は灯をちりばめてをり霧の上
  タイプ打つ視野には黄なる花あふれ
  夕桜折らんと白きのど見する
  春の夜の船のポストを尋(と)めあてぬ
  原爆の地に直立のアマリリス
  原子炉が軛(くびき)となりし青岬
  火星(マルス)近づく海が呟き蟹呟き

 横山白虹(よこやま・はくこう) 1899・1・8~1983・11・18 東京府生まれ。
  

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