2019年3月19日火曜日

柿本多映「出入口照らされてゐる桜かな」(『柿本多映俳句集成』より)・・



『柿本多映俳句集成』(深夜叢書社)、栞に、刊行記念座談会・佐藤文香(司会)、村上鞆彦、神野紗希、関悦史「生命を不意に貫く言葉」が付録としてある。その中で、神野紗希は、

 境界線をはっきり引かない作家ですよね。普通、生や死をテーマにしようと思ったら対比的になるんですけど、境界線のあわいにあるものを丁寧に掬い上げてゆく人なんだと思います。〈魚ごと森を出てゆく晩夏かな(『花石』)〉も、晩夏が出てゆくのか、自分が出てゆくのか、俳句の主語をはっきりさせないで溶け合わせてゆく作り方なのかも知れません。

 と言い、関悦史は、

 (前略)中間領域とか境目とかを方法として固定したところであまり面白くないわけで。その都度必要なものを取り出している気がします。ある公式があってそれに当てはめればどんどん俳句ができるというタイプの安定感はない。そこが面白いんです。身体そのものが方法として機能してます。

 と、語っている。年譜によると、愚生が柿本多映とけっこう連絡を取り合ったのは、2010年の頃だったように思う。愚生が文學の森にしばらく席をおいていたときのことだ。『ステップ・アップー柿本多映の俳句入門』、『季の時空へ』の上梓の頃、柿本多映の実家で親交のあった、藤田嗣治のスケッチ(未公開だった)を装幀に使う際の著作権についてのことや、もともとは京都新聞に連載された記事(入門書風)とエッセイの合体した一冊にしたいとおっしゃったことについて、内容的にも、例えば、新書版2冊仕様がいいのではないかと申し上げた記憶がある。そうすれば、著者の希望であった五木寛之夫人で版画家・五木玲子の絵も、藤田嗣治の絵も別々の本に装画として生かすことができる、と考えたからであった。また偶然に、九州で行われた現代俳句協会の俳句大会とその帰途、新幹線車中を共にし、「『渦』50周年記念大会」に一緒に参加したのも、ごく短い期間といえ、愚生が20歳代のはじめ、赤尾兜子時代の「渦」にいた縁によるものだったろう。
 本集成の年譜をみて、改めて、愚生との年齢が丁度20年上の姉上だと気づいた次第で、今のいままで、せいぜい10歳上ほどの姉上と思っていたのだが、そうした失礼を許し、よくもこれまで気楽に話をして下さったものだと思う。
 本集成には、既刊の句集収録句以外に、拾遺として1300句ほどが収載されている。文字通り柿本多映の全貌を窺い知ることのできるテキストである。ともあれ、以下には、既刊句集以外の拾遺の句を多く挙げておきたい。

  真夏日の鳥は骨まで見せて飛ぶ
  炎天の木があり人が征き来せり
  人体に蝶のあつまる涅槃かな
  兜子忌の扉押さうか押すまいか
  頭蓋いま蝶を容れたるつめたさよ
  雑踏の顔みな同じ原爆忌
  大いなる闇がかぶさる野火のあと
  かげろふや鳥が翔び立つ鳥の空
  奈落より先づ手の見ゆる春の昼
  蝶をのせ昏くなりたるたなごころ
  毒をもて淋しくしたり鳥兜
  まくなぎを払ひ皇(すめらぎ)かわきをり
  蝶を留め一夜を震ふ洞の木よ
  手と足を使ひ歩きの茸山
  八月や舌一枚を焼いてゐる
  晩春の沼を離るる一羽毛
  大花火指の先から重くなる
    悼 桂信子
  白梅へ戻りて君に加わらむ
  咲きながら椿は闇を洩らしけり
  またとなき日がきて殖ゆる苦艾
  睡魔くる春といふ字を書き連ね

柿本多映(かきもと・たえ)、1928年滋賀県大津市生まれ。


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