2021年6月20日日曜日

塩野谷仁「戦争にもっとも遠くあめんぼう」(『塩野谷仁句集』)・・・

 


  現代俳句文庫86『塩野谷仁句集』(ふらんす堂)、解説は、石川青狼「塩野谷仁句集『全景』の辺り」と松本勇二「塩野谷仁句集『私雨』評ーいつか来る」。塩野谷仁自身のエッセイ「『姿情一如』を求めて」の中に、


  (前略)戦後俳句が一時期、一部「姿先情後」ならぬ「情先姿後」に偏った世界を展開したとき、その稔りが不十分だったことをわたしたちは既に承知している。わたしもその一番後方に位置していたこともあって、「情先姿後」はあまりにも俳句特有の形式の虐待に陥り、実りの薄いものであることも実感している。(中略)「姿先情後」は「情(こころ)」を蔑ろにする結果「ただごと」に陥り、「情先姿後」は「情」が出過ぎて「詩形」の虐使に結びついてしまう。あくまで「定型」を基盤に据えて「情」を活かす、「姿情一如」の世界がいま求められているように思われる。


 と述べている。ちなみに帯の句は、


     一月の全景として鷗二羽


 であり、解説の石川青狼は、この句について、


 (前略)塩野谷の「一月の全景」の原風景には、龍太の「一月の川」の風景に拮抗する意識的な風景があったのではなかったか。「鷗二羽」を配することで、「一」でも他の数でもない「二」でなければならない強い意志の表出。単に日常の一風景の中の二羽の鷗を切り取った「もの」としての構成ではなく、一月の風景へ息吹を与え寄り添う「いのち」の象徴として、そこに存在する白い鷗二羽に託した塩野谷の現在只今の自己の内面の真実としての「もの」への答えなのではなかったか。


 と記している。ちなみに、「遊牧」NO.133(2021/6)には、「遊牧誌の新体制について」という告知が掲載されている。それによると、「来年(137号)」からは、「名誉代表兼編集人・塩野谷仁/代表・清水伶」とあった。ともあれ、本集より、いくつかの句を挙げておきたい。


    啞子(あこ)が画けば紙じゅうのあさがお揺れてる     仁

    太古より雨は降りいて昼螢

    棒という棒に冬鳥夢違え

    火の中の火の美しき二月かな

    この水のどこまでが水鳥渡る

        東日本大震災

    人類に声出すあわれ梅真白

    人坐るまでが空席蝶の昼

    草虱家出とはどの遠さかな

    遠野へ行きたし竹馬で行きたし

      兜太先生四十九日法要

    人体醒めて秩父往還花また花

            逃水を追ってどの木に登ろうか

    六月のきれいな兎に逢いにゆく

    昔と同じ数の夏星疫病(えやみ)の世

    大夕焼どう握ってもさびしい手

    

 塩野谷仁(しおのや・じん) 昭和14年、栃木県生まれ。



撮影・中西ひろ美「父の日の父が作ったお弁当梅雨の狭間にさっと日の差す」↑

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