2014年11月18日火曜日

小原啄葉「樹皮ときに新酒の匂ひ剥がし食ぶ」・・・



小原啄葉第十句集『無辜の民』(角川学芸出版)は、全編が人の生そのものを問い、飽くことなき追求を手ばなすことのない句業といえよう。章題は「大震災」「戦争(回想)」「いのちたふとし」の三章のみ。そして、つまり、戦争の記憶と震災の記憶につらなっている。同時に最終章「いのちたふとし」に繋がっているのだ。
掲出の句「樹皮ときに」剥がし食べるのは、戦時のことである。新酒の匂いなどはなからしてはいない。それは何事かを願わずにはいられない渇望である。
小原啄葉は大正十年五月生まれだから、93歳。「大正九年以来我あり雲に鳥」の三橋敏雄、また金子兜太もそうだが、この世代の俳人は戦争体験を手ばなすことなく、老いてさらにこだわりを深く持ち続け、生ある限り、それゆえにこそ人の未来を招きいれようとしている。

     黒焦げの半裸これみな無辜の民        啄葉
     雪の果通夜なき葬りばかりなる
     鳥帰る難民に似て非なる民
     をみなへし戦・津波に遺骨なし
     寒梅や生涯死者に仕へ生く
     家畜みな野生となりし野分かな
     戸籍のみ村とはなりぬ桃の村
     建国日永久に帰れぬ村なるや
     蛞蝓へそこは棲めぬと詫びたまへ
     夕雲雀降りてくるためまた揚がる



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