2015年4月23日木曜日
阿部鬼九男「まだ死ぬチャンスは残つてゐるぞ にはたづみ」・・・
阿部鬼九男がハガキの裏表に(聖書と大きさの文字と仰るが、時に天眼鏡を用いる)、ところ狭しと書きつけられた通信が贈られて来る。
内容は古今の神話や文学や音楽、とりわけオペラについてはほとんど無尽蔵の博覧ぶりを示していて、愚生には、到底理解できない?内容が多くある。
それでも、たまに、うん、なるほどそうに違いないという真理の恩恵にあずかることもあるのである。
それと、気楽?即刻に書かれた一句が最初に記されているので、それだけはなんとか手が懸りそうな・・・気配。
その通信の名は、現在は「とよがおかつうしん」となっていて今号は「♯53」であった。
住まわれているところの地名なので、かつては「からすもりつうしん」、「かいどりつうしん」であったりした。それらは整理が得意でない愚生ゆえ・・・、散逸しているので詳しい号数はいま把握できないものの、トータルすると500や600、いや1000号ほどを迎えているのかも知れない。
先日、宗田安正と会ったおりににも、一冊の本になったら素晴らしいものができるだろうと仰っていた。
今号の締めの一節には以下のように書かれている。
さて、ペトラルカをもってルネサンスの創始とする考え方がある。フランシスコ・ペトラルカ(1304-1374)はキケロを発見することでユマニスムを手にし、本来なら相容れない古典文化(研究)とキリスト教を折衷することからユマニスムを推進させた。彼はキケロに範をとってラテン語を整備したことでも知られる。キケローセネカーアクィナスーペトラルカ。この補助線的強靭なビームを以ってルネサンスの立体化が図れるだろう。だが、常に批判者が現われる。一例なら、マルティン・ルター(1483-1546)をユマニスム批判からみておくのもいい。鬼
ともあれ、何度もお会いしている阿部鬼九男なのだが、句集その他にも、一切経歴が書かれていないし、たまに年齢を聞くのだが、その都度、愚生は忘れてしまうのである。
とはいえ、何時だか、80歳を過ぎると、崖っぷちにいるような気がするとおっしゃていたのが記憶に残っているので、今回のブログタイトルにした句などを読むと少し気になってしまうのである。確か高橋龍(昭和4年5月8日生)と一歳違い?というおぼろな認識からすると、八十歳も半ばだろう。
その通信から、ランダムに句を挙げておこう。
九条の葱で戦ふ朝を待たう (かいどり緑陰つうしん ♯72)
フェニキアにいくつむらさき貝溜(だ)まり (かいどりつうしん♯109)
地中海 たとへば島に冬越すパウロ (かいどりつうしん♯114)
海賊の裔に船遺る ようこそ いのち (とよがおかつうしん♯32)
日めくりの洋梨のかたちのソナタ (とよがおかつうしん♯24)
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