2016年4月14日木曜日
伊丹三樹彦「妻の涙を 涎を掬う これが終(つい)か」(『当為』)・・
伊丹三樹彦第26句集『当為』(沖積舎)。「あとがき」に言う。
句集名の『当為』とは「あること」(存在)。又、「まさになすべきこと」「まさにあるべきこと」を意味する。今年、私は満九十六歳。「なすべきこと」は病院通いと知友との文通、月二回の句会と句作である。今の私の、まさに在るべき姿を『当為』とした。
さらに言う。
私の心得は、
「俳句は垂直の抒情詩である」であり、
「超季以て 俳句は世界最短詩」と考えている。
本集においても、この発言には変わりがない。
とにかく、伊丹三樹彦の健全を寿ぎたい。まさに俳句同志ともいうべき金子兜太には句を捧げている。
夢に見て 尿瓶は兜太もだったなと 三樹彦
収載した句の選択・編集・造本は長女の伊丹啓子がなし、最初の章に一昨年逝った妻・伊丹公子に捧げる「慟哭哀句」、他は、春夏秋冬、新年、超季の部立になっている(カバーの写真はもちろん写俳亭・三樹彦)。
以下にいくつかの句を挙げておきたい。
冷たいよ 供華に埋もれし公子の頬
花万朶 生者の数より死者の数
蟬聲裡 内耳は玉音放送へ
向日葵に 誰もが世界唯一人(ゆいつにん)
猫じゃらし さても曾孫は跳ね通し
オリオンの央の三ツ星 憲吉忌 (楠本憲吉)
心得は多作多捨多臥 誕生日
帯剣でなく杖 戦後も七十年
生きてあり 眠ってありの 仮枕
名乗りなつかし 草城 青々 桜坡子の
生母継母養母亡くして 臍まじまじ
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿