2016年4月30日土曜日
寺山修司「目つむりいても吾を統ぶ五月の鷹」(「くぢら」5月号・寺山特集)・・・
「くぢら」5月号の特集は「俳人の軌跡NO.14 寺山修司」。転載による再掲載記事が多いのが少し気になるが、よしとしよう。毀誉褒貶甚だしかった寺山修司だが、それは彼にとって、本質的な問題ではなかったろう。なにせ、若者をいまだに魅了し続けているのだから、芸術的な魅力ある何かをsのエネルギーとして持っているにちがいない。
1983年、寺山修司は五月晴天の日に、二か月後の七月雨天の日に高柳重信が亡くなった。
五月修司文月重信逝ける空はも 恒行
その後、愚生が「俳句空間」を書肆麒麟の澤好摩から、版元を弘栄堂書店に移した際の、新装刊「俳句空間」第6号の特集が「寺山修司の俳句世界」だった。その時は、三橋敏雄に寺山修司100句選と福島泰樹にインタビュー「寺山修司の俳句を語る」をお願いした。
その100句の掲載の著作権料支払いについての交渉を、新書館の方に紹介をしていただいて、母親の寺山ハツを訪ねたのだった。
寺山修司は言う。
のびすぎた僕の身長がシャツの中へかくれたがるように、若さが僕に様式という枷を必要とした。・・・定型という枷が僕に言語の自由をもたらした。
そうなのだ。世に言われる有季定型こそが不自由な枷ではなく、まさに自由を保証しているのである。高柳重信は言っていた。「もし、非定型で、季語を入れないで俳句を作れと言われたら、足かせ、手かせをはめられたも同然で、俳句は書けない」。
ともあれ、「くぢら」の特集に敬意を表して、同誌よりいくつか句を挙げさせていただこう。
花冷えや寺山修司の空のうた 中尾公彦
海が哭く海の骨哭く涅槃西風 工藤 進
窓ごとに立春の空ありにけり 掛井広通
十字架の光り眩しき竹の秋 渡辺嘉幸
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