2017年2月23日木曜日
石原日月「逝く春や耳寄せて聴くピアニシモ」(『翔ぶ母』)・・
石原日月句集『翔ぶ母』(ふらんす堂)には、献詞が付されてある。
悲しみの彼方、母への、
捜り打つ夜半の最弱音(ピアニッシモ)。
吉田一穂「母」部分
この献詞に呼応している句が「逝く春や耳寄せて聴くピアニシモ」であろう。もちろんというべきか、芭蕉「行くはるや鳥啼うをの目は泪」も応えていよう。芭蕉元禄二年三月二十七日「奥の細道」に旅立つ留別の句である。
著者「あとがき」の冒頭に、
平成二十三年三月一日 母死去
平成二十三年三月六日 父死去
(平成二十三年三月十一日 東日本大震災)
平成二十三年三月十二日 通夜
平成二十三年三月十三日 葬儀
平成二十三年六月五日 納骨
収録した句は平成二十一年八月一日に母が倒れ、入院・手術となった時から、平成二十三年一月の父の緊急入院、同年三月の父母の死、六月の納骨、平成二十四年の一周忌あたりまでの約二年半の間に作ったものです。(中略)
今年は父母の、ということは東日本大震災の犠牲者の方々の、七回忌ということで、ひとつの区切りとして句集という形に纏めてみました。
とあり、父母に献じられた追悼の句群である。
愚生が献詞に反応したのは、かの加藤郁乎が師事し、敬愛してやまなかった吉田一穂の薔薇篇冒頭の「母」には、愚生が好きな二行が、一行空けて献詞の行前に置かれている。それは、
あゝ麗はしい距離(デスタンス)、
つねに遠のいてゆく風景・・・・・・
合わせても四行の詩である。そしてまた一穂に、「野狐山門、一穂の寒燈を点ず。」また「『豈』、月に打つ狸和尚が腹鼓」などと記された、
ふる郷は波に打たるゝ月夜かな 一穂
の句もあったことを思い出したのだ。
ともあれ、石原日月(いしはら・じつげつ)、1946年愛媛県生まれの本句集から、いくつかの句を以下に挙げておこう。
軍務あるごとき眼の大烏 日月
空蝉や翔び去る母を押さへけり
噛む噛む秋風を噛むさらに噛む
風と化す桜も母のてのひらも
菜の花や母と云ふ字は雨となり
母居らぬ母の日となり父の日も
撮影・葛城綾呂↑(自宅ベランダかららしい)
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