植田いく子第一句集『水でいる』(山河叢書)、序は、松井国央「今という背景 染み渡る清潔感ー序にかえてー」の冒頭には、
薄氷の一歩手前の水でいる
この句集の表題となっている作品だ。また、植田いく子さんご自身の精神性を覗かせてくれるような作品でもある。
おりしも昨今は人類を脅かす新型コロナウイルスのパンデミックの中、世の中は経済格差と分断が顕著になり、地球環境の保全からカーボン・ニュートラルへの対応も急がれている。暮らしを顧みればデジタル化は加速、リモートワークによる働き方改革等と、私たちが馴染んできた日常と大きく変わろうとしている。そんな中で「一歩手前の水でいる」姿はいく子さんの生き方、あるいは俳句に対する決意のようにも見えてくる。
と記されている。また、著者「あとがき」には、
コロナ禍のつれづれに句集を編むことを思い立った。俳句に出会ってから十八年になる。初めて句会というものに参加し、こんな世界があったのかと衝撃を受けた。初投句した時の気持ちは忘れ難い。恥ずかしさと訳のわからなさで身の細る思いであった。今でもその気持ちに変わりはない。(中略)日々俳句を通して受ける様々な恩恵は計り知れない。三百句を選び年代順に表題を付け配列した。ノートを読み返すたびのその時々の句会がよみがえり、かけがえのない時間を過ごすことができた。
という。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておこう。
黙祷のアナウンスあり春の駅 いく子
半周を残して帰る花見かな
重陽の裏から入る親の家
石橋の石の来歴石蕗の花
刃を入れるたびに尖っていく西瓜
家族という危険水域田水張る
詰め込んでまだある隙間晩夏光
ペン立てに孔雀の羽や天の川
未来より過去が不確か冬の霧
ふいに来るその日はいつか凧
芹の水未生の我に会いに行く
植田いく子(うえだ・いくこ)、1948年、福岡県小倉市生まれ。
撮影・鈴木純一「縷紅草なにをやってもキョトン顔」↑
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