土屋秀雄第一句集『鳥の緯度』(青磁社)、帯の惹句に、
北から南から鳥は日本に渡ってくる/赤い実を食べた鳥が私の荒地に種を落とした
種は俳句となって草花を咲かせた/俳句の交わりから、詩のミューズから
到来した種が育って荒地は草原になった
とあった。また、著者「あとがき」には、
(前略)俳句は変哲こと小沢昭一さんの「水酔会」から始まった。平成八年、白水社の和気元さんに誘われて小沢昭一さんを宗匠にした「水酔会」に入った。小沢さんはお酒が飲めないので土瓶に溢れた茶を横に置き、席題が出るとメンバーの牽制し合うかの様な軽妙洒脱なやりとりを楽しんでいた。(中略)
平成二十一年の暮れ、学生時代に吉本隆明の購読仲間だった大畑等君と久しぶりに馬場の居酒屋で出遭った。彼は俳句の評論で賞をとるなど、既に現代俳句協会で活躍していた。早速、昔の仲間を集めて句会「ホチュウ類」を始めた。彼の誘いで現代俳句協会に入会し、早稲田の俳句集団「西北の森」の会員にもなった。その大畑等が平成二十八年、心不全で急逝してしまった。享年六十五歳、無念である。
愚生も大畑等急逝の報を受けたときは、信じられない思いだった。あの頃、彼は,『昭和俳句作品年表』(現代俳句協会)の編集委員としての仕事を終えたばかりで、その本の中にいくつかある句の正誤表を送ってくれた直後だったので、なおさら、そう思えたのである。確実に今後の現代俳句協会を担っていくであろう、と目されていたし、人間的にも信頼されていた人だった。じつに惜しまれた早逝だった。ともあれ、本集より、いくつかの句を以下に挙げておきたい。
春めくや蛇口の錆の血の味よ 秀夫
平成二十四年十二月十日 変哲逝く
折皺の通りに畳む初あかり
水底へ虹のひと色捨てにゆく
亀鳴くや手にしたものは裏をみる
鳥帰る鳥に祖国は二つある
美しき数列氷柱に芯はない
迷路には入口がある夏木立
省略のできないものに猫の恋
冷蔵庫あけるに少し抵抗す
風船をつなぎ自由を軽くする
ため息を鸚哥が真似る大暑かな
土屋秀夫(つちや・ひでお)1951年、長野県生まれ。
撮影・芽夢野うのき「秋燦々あらかた此岸の愛燦々」↑
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