川名つぎお第4句集『焉』(現代俳句協会)、あとがきの「所思」には、
平成四年「程」を皮切りに「尋」同十年、「豈」同二十六年につづく、この句集は第四句集になる。ここ数年コロナ禍にあり地上のすべてと同様に家に居るかマスクして隠れ家へ数日置きに。ついに来たか「ハーメルンの笛吹き男」や「ペスト」の人類滅亡への走りかと。まるで第三次世界大戦、勃発の死の不安が地球規模でアジアを含む新型コロナ禍の甚大さ。(中略)
「焉(えん)」は意味的には「どうして」「なぜ」の漢文による助字で期待はできない。忽焉、終焉に尾骶骨風に残っているという感覚こそ韓国の女子像であり、私の記憶と同行した、
「チョセンジン チョセンジン トパカスルナ オナジママクッテ トコチガウ」と訴えた日本語調の心情への揶揄は何だったのか。国民学校から八十六歳の今に口ずさめるのは環境という日本的風土が教えこんだもの。中国人のいう反面教師は私には同族や他民族への教訓として映っている。
とあった。ともあれ、以下に、愚生好みになるがいくつかの句を挙げておきたい。
それとなくディスタンス木は凍らない つぎお
ポケットを街のどこかに落しけり
さわやかに徴兵なし基地を授かり
青枯れし少年のままの「気をつけ」
ソ連初の核実験場。現カザフスタンのセメイ(旧・セミパラチンスク)にて
核実験ドストエフスキー流刑地
昭和二十四年から平成二年まで四六五回、五十万人被爆
セミパラチンスクを刻む世界時間
燕見た日の不安か誤嚥の兜太
空襲や母死ねばその飯おぼろ
「現代」とは原爆を呼んだ日から
鳥も二本足おれに翼がない
戦死は明治大正生まれ桜灘
川名つぎお(かわな・つぎお) 昭和10年、東京市蒲田区生まれ。
撮影・中西ひろ美「旧盆やシャリシャリと食べ思はるる」↑
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